覚者慈音211

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO163
 絶対とは如何なるものか          その6                                                    教主寛大 講述


 心の智慧を働かせて彼是迷ひ論議するは衆人の風習なり。心の智慧の働きは範囲せまくして無言詞を聞く力あらざるによってなり、一歩進めて魂の智慧に変へよ。されど魂の智慧にては未だ覚ることは困難なり。故に更に更に霊に迄通じしめてその智慧を求めよ。さらば無言詞は明らかに通達す。汝等諸子は今後の世界は如何あらんかと心の智慧にまかせて彼是迷ひ居れど、是を魂に移し、更に霊に合はしめて無言詞を聞かば、汝等が世界の結果は明らかに知ることを得るなり。語らざれど既に慈音は是を知る。其は無言詞を聞き居るによってなり。無言詞を語り居るものは誰ぞと深く深く追究して、其より其へと魂より霊の方向に向はしめ居らば其にて望は達す。
 初対面の人に接して我も語らず、彼も語らずに親しみを感じて意気投合する如き体験は諸子にもあるならん。是等は無言詞と無言詞に依って互いに語りたる結果なることは知らるるなり。もし其が有言詞にて互いに語ひをなす時もし言葉の用法如何によっては彼の心に傷け果は反目するに至らん。有言詞は用法の相違によっては争ひをおこし交はりを破るに至らん。我等よく見るところなるが、汝等諸子は心の底に貯へ居ることと表面に表はす言葉と相違あるは、即ち無言詞と有言詞が異なりたる言葉を発し居るによってなり。心にも無きことを口にするは是を二枚舌と云ふなり。一方は無言詞を語り一方は有言詞を用いて交はりをなすとも親密の交はりとはならざるなり。彼は悪しき人とは思はねど何かは知らず好ましからぬ人なりと云ふが如きは無言詞が通ぜざるによりてなるか、或は無言詞が好ましからぬ言葉をおくり居るかの相違に他ならず。是等の事柄より考察せば心魂の有無は知らるる筈なり。彼は好ましからぬ人なれど彼の心に傷くるにも及ぶまじとて、世辞言葉を送るは、何れが魂にて何れが心なるやに思ひ廻らせば、心と魂の有無は那辺にありやを知ることは難きにはあらざるならん。斯くしてその思ひを正しき方向に向はしめ居らば従って魂の在処を知ることを得るなり。其をなすには心常に平ならざるべからず。心平になり居らば其是非を判断する力は自づと湧き出で来りて、無言詞は汝に正しき方向を教ゆること疑ひなし。穏かなる心ならば他を害し傷くる如き行為をなすものにあらず。我心平静なれば他も亦我をいたましむる如き行為をなすものあらんや。然して互いに交はりを厚ぅすることによって相互が穏とならば世は安かるべし。無言詞の力は強し。有言詞は用法の如何によって強弱は免がれず。故に相互に誤解を生じて紛糾を醸す如きは是有言詞の狭き故なり。さとりたる人は聞く力すぐれたるが故に、語らずともよく相手かたの意中を汲みとることを得るなり。
 汝等諸子は口より声を出さずば通ぜずと思ふは、未だ無言詞の声の聞えざる故なり。彼と我と対座すれば口の声は聞えずとも、心の声は互いに語らひをなし居ることを我等はよく知る。然るに汝等諸子は沈黙の間は何もなしと思ひ居るは、無言詞のあることを知らざるによってなり。汝等の心、汝等の魂は何くれとなく語らひをなし居るなり。眠り居りてすら語り居るにてはあらざるか。仮死状態となりてあるに不拘無言詞は働き居るなり。さればこそ嬰児は眠り居ながら、智慧を増大なし居ることのあるは事実なり。生理学上より彼是理屈を称ふることなかれ。生理学の事柄は我等は既によく知る。知らずして語り居るにあらねば、我に対して理屈を語るなかれ。
 



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