こだま会講演日記    第九十一回   坂本通博 筆記

三月一日  続き


例へ七歳の童子でも人間として人間を知ったらば、すべてのもののちょうじ。(長子)。
人間の程度まで尺度計を伸ばして人間がわかり、それを又引き延ばして天界がわかり、又之を引き延ばして神界がわかる。
先ず人間と言ふものを知らしめ、次に天界神界まで導けば私共の務めは果せる。
先ず人間と言ふもののあきらめが大事。
皆さんの尺度計は未だ人間の半ばまでしか伸びて居ないから人間がわからない。
五分計となればそれまでの事は清算された。
一寸計も・・・・・。
ここまで来れば自分がどこまで伸びたかわかる。
皆の身体にはあまりに雑草が多すぎる。だから先ず雑草を抜いて道をはっきりさせねばならぬ。凡夫=荒地
先ず荒地をたがやして立派な香木(米)作ってもらう様にする事。
凡夫だから聖者になるまで荒地を開拓する事。
これまでの間にいろいろな法を教えるのが宗教。
教主は一寸又は一尺計。
私共の持場は五分計。宗教者の持場は一分計。
皆は未だ動物界。之を早く度脱して人間に入らねばいけない。
人間界に人間の姿にありながら人間を知らず未だ動物でいる。
このままで終れば人の皮着た畜生だと言はれても致し方ない。
人間に生れて人間を知らずば天分を知る事を得ず。
人間性と動物性、畜生性を明らめしめんが為に、前に慈音を畜生道へ落して修行せしめた。


泰岳貴尊講義


明るい世界に暗い生活。
皆は明るい世界に生れて来て日々暗い生活をしている。悲しい事ではないか。
縁があるのに夜の生活をして居る。夜が来て又夜の生活をすれば二重生活。
暗い方から暗い方へばかり向って明るい生活へ行かないからつらい苦しい
生活になる。明るい生活から明るい生活に向へばたのしい。
生涯暗に向へば蝙蝠界に落ちて終る。
蝙蝠界で終生終ったら動物性。
本当の明るさ暗さを知らない。
昼も明るい、夜も明るい、光明から光明の世界にてくらすべし。
永久不滅は暗にも明にもあり。
光明を厭ふが故に暗中の暮しをせねばならぬ。
吾々は光明の世界ばかりを慕って行くと言ふ事を念頭におきなさい。
暗黒の世界を辿って行けば蝙蝠界に落ちる外ない。
皆の明暗は肉眼によって見る。肉眼がつぶれてしまっても明暗あり。
人間は他から聞かされた丈では理解する事はできない。自ら当らねばわからぬ。
天界の話をしても想像出来る範囲しかわからない事は致し方ない。
然しこう言ふものがあると聞いて、それからそれへと想像するので芽が出て伸びる。
私共は種子をまくだけ。
私共が天界に来られたのだから誰でもその順序を踏めば来られない事はない。
ちゃんと道がついて居る。それを踏まずに楽な方へ楽な方へと向いて行くからまちがふ。
想像力を他にのばすからとんでもない所に転落する。
易く昇れるものをとんでもない想像力をのばしてとんでもない方向に向かないで、私共の導く方に向けてたましひ磨く様にする事。
蔵からたましひを取り出して埃を払って光らせ様と考へて日々の生活をする事。
日々の世渡りは皆修行。
一つの難儀に会はされたらこの難儀は自然の順路である。これには右へ或るは左へ曲らねばならぬ事あり。そこに角があり、これが節。
竹の根本の節はこまかく、上に伸びる程長くなる。之と同じ。
ふしは大難。之でへこたれると枯れる。
これを乗り越えて行く。この方法が拝み。
たましひにたまったほこりを払ふのが拝み。
拝みはものを払って行くこと。
部屋の掃除も同じ。ふき掃除もたましひを磨くも同じ。
信仰があるから人間は拝みする。
美しいものは善。きたないものは悪。
人の性は善だからはじめから美しいもの。人の根(魂)は清らかなものだが汚すから掃除をせねばならぬ。
不浄の心をおこす。魂を傷つける。
唯美しいなあと見るはよいが、欲しいなあと考へた時はもう泥棒したもの。
たましひは清浄であるから汚れを厭ふ。
人間の生まれたての赤坊の様にきれいにせねばならぬ。
泣いたりわめいたりする事は皆けがれ、腹立てたり・・・・・これは心のけがれ。
心は迷ふからけがれる。
まよはぬものはたましひ・・・・・人間の根。
心はみだれても、みだれないたましひにまかせておけば美しくなる。
心もみがき、たましひもみがく。
一寸事に腹立てるは心。本当に腹立てるはたましひから。之は大変な事になる。
昔は丑の刻まいりと言ふのがあった。
こんなおそろしい事になるのはたましひ。
丑満時に異様の姿で人形のわら人形をつくり、森の木に釘で打ち付け、満願の時そののどの所に釘をうちつける。そして呪う人を殺す。之は迷信妄信にあらず。
之をはたらかせるものは霊。たましひの力は強いもの。
こんなたましひにしたら大変な事になる。
死んだ赤坊が浮遊魂だった話。

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