こだま会講演日記    第六十四回   坂本通博 筆記

十一月十日


陰陽学と言ふは易。
之は主に天体と人間とを結びつけて色々と判断させて居た。それで天体観測が人間の気に及ぼす影響をやかましく言った。
之を皆が話丈を聞いてそれ丈で判断して居たから間違ひが多かった。
つまり天体のすべてを気圧の配置によって判断した。
この星がこの位置にまわって来たから地球に陰の気圧(低気圧)又は陽の気圧(高気圧)が起こる。この星がここにある時、陰の気圧(雨風を伴ふ)がおこり又は陽の気圧(晴れる)がおこると考へる。
今の天気予報があたらぬのは風の方向が変るからだ。昔のは気によって気をはかる、だがその所では決して狂わなかった。唯その土地土地丈で今の様に地球全体の事はわからなかった。ここに人間の修養修行に大事な事あり。
気と言ふこと。人は日常は気で暮らして居る。
気を計ることを知れば易の必要はない。
こういふ気分(心持にあらず)はなぜ起こったかと知る、又どうなるか。破壊期で晴れるか、分解期で晴れるか、又は融和期に於いてか組織期に於いてか、即ち四線のどこで晴れるかわからねば気は払へない。
一寸した気当りが大きく育ってとんでもない大事になる事あり。
気を病む事は早く取り去れ。小さい事、これ位の事でも油断せず何の原因かを確かめる。又原因なしで来る事もあり。
その気を何で来たかを考へて取捨する。
一分二分三分の所では毎日気は来る。(物指し)
破壊分解融和組織は数学の加減乗除、結果期は答。中は計算だから答はない。四線丈。
上と下で答を見る。(之はそろばんでもやれる)


泰岳大師のことば


気を緩めてはいけない。
線香を粗末にして居る。御飯を頂いて居ながら珍しい食物を有り難がる。
人間は珍しい言を喜ぶ癖がある。或るは聖者のもとに訪れた三人の人あり。
お前たちは何が一番楽しいかと聞かれ、一人が「何事も心のままになるならば
それに上越す幸はなし」と、また一人は「何事も心のままにならぬ故、そこに
苦もあり楽しみもあり」と、
とにかく変ったこと変った所には目がつきやすい。私共は皆をしあわせにしてやりたい。皆さんの生活を見ると、
朝起きて第一に火を炊く、之はいけない。第一に手を洗ひ口をゆすぎ顔を洗ってはっきり目を覚まして御飯を炊く丈の信仰がなければならぬ。
一番大切なものは火、之を大切にしないで。これが皆の信仰、こんな信仰ではだめ。朝起きたら髪だけはとき上げて、手を洗ひ、口をゆすぎ、食事が出来、皆を起こす時に顔を洗へばよい。火を粗末にしては勿体ないと言ふ心があれば火災はない。だらしない、緊張しない心がけで真の幸福を得よう等はふとどき。
よそ行きの顔をしてよそ行きの着物を着て出てゆく、之は偽り。
何故に心の晴れ着を着ないか、垢づいた着物を着ていては気がすまない。気の持ち方一つで幸ともなり、不幸ともなる。自分の心が奇麗でれば、人の前でも神の前でも足を出そうが何し様がかまわない。手始めに朝起きたら前述のとおりにやるべし。
心の垢を洗ってもらい度い。

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