こだま会講演日記    第六十二回   坂本通博 筆記

十月二十七日


泰岳大師講義
遊んで食ふも着るも不自由なければこれ以上の事はないと考へる。
十二流界が楽しみでせうか、それを考へる事。無欲になれと勧むるにあらず、もっと大欲をもて。皆の欲は小さい。衣食住だけの欲。
天界に来いと言ふものでもない。(肉体は捨てられるものでない)。天界もはっきりわからないのだから、うっかり死ぬのも危ない。
生きるために修行すべし。
生活を、本当の生活をせねばならぬから修行する。
風吹かば吹け、雨降らば降れ、何事がおきても平気になれたらよいのだが、皆の心はいつもぐらぐらがらがらと動きとほしである。(秘伝を伝へる時の歌)
「うつるとも月はおもはじ うつすとも水はおもはじ 広沢の池  天上の月) 壱越   (うつった月) 鳬鍾 
双調は水ぎわ、 すき間、  空間。
ここに無言詞がはたらく。
鳬鍾が双調になってきこえるか、双調が鳬鍾になってきこえるか、
ここに天変地異を知る鍵あり。
天の自然に来れば波が七五三に来る。
七つ来て一つ休む。七つの来る程度によってこの領分丈しか来ない。
七つに一つの休符を加へると八拍子になる。
五つに一つ休み来て六拍子。
三つ一つ休みが来て六拍子。
休符は大事。
之は天理の自然から来る。
曲の偉力はこれをさがせば明らかになる。


 十一月三日
 
 泰岳大師、セイジャ、セイキョウの座になほられる。泰岳の名が天界の記録板より消さる。之よりコーセイ(ショウ)ミキョウの資格で出座せられ、貴尊と称へる。

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