未知日記講話集   こだま会講演日記    第五十二回   坂本通博 筆記

五月十二日


衛藤慈声氏への教主からの教え 続き


心の中にわだかまる頑固心を柔らげる。
余りに凝り固まった潜在意識の為に心の底まで話が聞けない。是ではいけない。是を柔らげて内心にまで徹底する様にする。是を内観法と言ふ。
自分の潜在意識に自分の心の底には悪い心がないかどうかと省みる。是を内観法と言ふ。内外か一如になって内外一体の拝み(反省)とする。
潜在する悪心、誤りの心を、心の底から解きほぐして悔い改める、是を懺悔と言ふ。そして二度と犯さぬ様にする。潜在意識を充分に働かするを信仰と言ふ。悪いと知らずにやるは是はあやまち。これは人に多い。だから之が無い様に、うっかり気が付かず誤ちを犯さぬ様に拝む。是は自分を拝む。
内外一緒にした拝み、是を念力と言ふ。
外に向いた心と内に潜む心の二つを一緒にするを念と言ふ。如何なる小説等にも一つの真理、物の道理はあるもの。この道理丈を抜き出して自分のものとし、後は捨てる。
自分の心がいつも正しいか正しくないかと言ふ事を念頭において拝む。是を内外観と言ふ。
動物性善悪と人間性の善悪には大なる相違あり。故に早く人間性の善悪を知りおくべし。


放心法(中島夫人の質問)


発心法ー 自分の心に浮かんでくる事。
放心法ー放心法とは自分の不自由な心を縛らないで自由を与へる。是には発心法を先にする。(こういう事をしたいのだがと考える)是を魂に尋ねて許しを得て、よろしいやれと言ふは放心法。どこへでも自由に行けとと自由にしてやる事。
心に浮かぶ事は絶対界(天界)では出来ない事は一つもない。
天界には自分の行った事すべて、又未来まで記録されている。是立体鏡。
天界で出来ない事は人間の空想に出て来ない。
物識りになってはいけない。知った事は実行にうつしてはじめて悟りができる。
こんなことをききたいけどとかんがえるは発心法。
それを口に出して聞くは放心法。
こうしたい、こうすればよいのだが出来ない、と言ふは発心法丈で縛られている。
やればよい、やれば出来る。是は放心法。
人の名は符号。符号により役目が定まる。
題目、仏名、皆符号。
自分の心にしみ込んで居て魂にイエスを知っているからはじめて通じる。
霊と自分の魂が通じ居るが故に拝みになる。
円海師は我が心に宿って居る。いつでも円海よと呼べば必ず来て働いて下さる。
慈音師又然り。

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