未知日記講話集    教主寛大講義 未来観その四

未知日記講話集   未来観  その四



  汝等日々の生活は心によって支配せられ居るならん。その心こそ魂に与ふる肥料なりと知らば、肥料とならざるものを与へ居りては、魂を汚すのみにて発育せしむることは至難なり。故に煩悩と云ふ雑草をぬきて、是を肥料に変へよと教へ居るもみなこの理なり。煩悩菩提と云ふ教へも是に匹敵す。煩悩心も肥料なるが故に、魂に与ふれば養分となりて是を育つる力となる故に、仏凡一体の境と云ふ言葉も出でたるならん。
 汝等衆人は滅する肉体を大切なりと思ひて、滅せざる霊魂を粗略になし居るため、多くの魂屑を作るのみにて終らば、其が却って全宇宙を構成する妨げとなるのみ。全宇宙を混濁せしむる如き結果とならば、宇宙は汚れて安楽の世界は組織せらるるものにあらず。
汝等修養修行をなして後の結果は、安楽の世界を建設せんがための任務なり。然るに其を知らずして己肉体滅後は、安楽境に入るものと誤認なし居りては、到底望みは得られざるなり。無始終霊子の具備(そなはり)あればこそ、霊魂は不滅なり。無始終霊子の具備なくんば霊魂も滅するの他なし。是等の事柄を認識せば、一才にて死するもあれば、百才にて死する等の事柄が汝等衆人と雖も合点する事難きにはあらざるならん。
 宗教者の云ふ因縁と云ふ言葉の意味は、余りに範囲広くして理解に困難なり。我等が語りし無始終霊子の集合によって組織せられたる魂なるが故に、分解作用を起さず不滅なりと云ふ理論を知るならば、すべての事柄が明白とならん。他のすべてのものが結局無始終霊子にかへる具備あるに不拘、霊魂のみが無始終霊子にかへらざる事柄より、万般にわたって研究なさば、迷ひと云ふもの一つとしてなしと云ふも、過言にはあらざるべし。
凡てのものは変化すれど、霊魂のみは変化するものにあらず。無始終霊子も霊魂も共に無始終なり。故に滅せざるなり。されば諸子の肉体に於ても、変化するものは、物質にして、変化せざるものは、魂なりとの結論を得るならん。テッシン。セイキョゥが語りたる如く、汝等衆人の個々の肉体も全宇宙の組織も同様なりと教へしは、即ち此理を知らしめんがための予備知識として知らしめたる事を、今に至って漸く認識することを得たらんと思が如何 ?


×

非ログインユーザーとして返信する