未知日記講話集    教主寛大講義 無言詞のはたらきは空に属するか

未知日記講話集      未来観 その四    


 小児が日一日肉体と共に発育し追々智慧づき行くは、人魂の種子が発育して伸び行くによってなり。魂の育たり行くは、無始終霊子が徐々に加はりつつあるによってなり。故に汝等諸子は魂を見んとなすとも見ることを得ざるは、無始終霊子なるによってなりと云ふことは察せられるならん。心は肉体と共に育たり行くに反し、魂は霊子の集合を受けて育たり行くなり。さればこそ心を肉体にまかせ居りては、人魂の種子が如何に発育なし行くとも、人魂の種子と心の養分が個々別々になり行くによって、完全なるものを組織する能はず。恰も白痴者に宿されたる人魂の種子と何等異なりたることなきに等し。白痴者に蒔かれたる人魂の種子には、白痴者と云ふ心の養分が全く働きをなさざるが故に、人魂の種子は吸収することを得ずして発芽することなけれど、普通人間の心は白痴者とは異なり人魂の種子に対し心の養分が、僅少づつにても加はり居るが故に、発芽して育たりつつあるなり。
 我等常に語り居る如く完全なる魂を作らずば、使命を全うしたりとは云ひ難しと諭せしはここなり。魂に対して充分の肥料を与へ完全なる稔りを得せしめて、ここにはじめて動物性の肉体がその任務を終るなり。然るに其が人魂の種子を育つる力なくして動物性の肉体にて終らば、人魂の種子が発芽して育ち悪く、魂としての役目を果たすことを得ずして宙に迷ひ、其が枯死すること無きが故に亡ぶることなく、さりとて魂の任務をなすことあたはずして、果ては魂屑となりて捨てらるるの他なきなり。発芽せざる種子ならば又もや他の肉体に下さるる事もあらん。されど発芽して伸びたるものはその勢力の如何によっては、又も他の肉体に移植せらるる場合もあれど、其が他に移植なすとも育たぬものならば捨てらるるの他なかるべし。故に我等は魂屑となる勿れと教へたるなり。勢力乏しき人魂の種子とはむしばまれたる野菜の如し。或は腐敗したる食物と同様なり。故に捨てらるるの他なかるべし。されど人魂は霊子の集合なれば、一度組織さるれば決して分解するものにあらず。故に不滅なり。完全に稔りたる魂も亦育ち難き魂も、不滅の点に於ては何等異なる事なく、是は絶対滅することのあらざるが故に、全宇宙の中に絶対と云ふ言葉は、魂を措いて他になかるべし。かばかり大切なるものが汝等衆人の中に植え付けられ居ることを認識せば、人間としての任務の如何に重大なる使命を架せられ居るかに心附かずして、動物性にのみひかれ居りては人間としての価値はなかるべし。その大切なることを知らしめんがために、宗教が必要となりて教へられ居るに不拘、汝等衆人今尚めざめざるは真に遺憾のきはみなり。もとより指導者の至らざるが故なり。
 古来より名僧智識とか或は聖者とか云へる指導者も少なからずありたれど、霊魂不滅の原理を充分に認識自覚して導くことをなさざりしが故に、末世に至って其が肉体宗教に変化し、ために横道に迷はしめたる結果となりたるは、是又是非もなきことなり。汝等衆人は稔りたる魂が、肉体滅後神となるとのみ考へ居るは、一般の常識ならん。ミキョウ。セイキョウ。テッシンの如く完全に稔りたる魂の持主なるが故に、汝等衆人を指導(みちび)く力を有すれど、彼等は神仏にあらずと称し居る点より、霊魂の如何に大切なるかを推知せざるべからず。又よくよく考へて認識する力を具備(そなへ)ざれば完全なる魂を養成する肥料とはならざるべし。汝等衆人我にして我にあらざるものは、魂なりと云ふことに早くめざめよ。然して真実我にして我なりと云ふ程度迄進めずば、真のさとりは得られざるなり。

×

非ログインユーザーとして返信する