覚者慈音1660      未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1660
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十六    汝のすべてを霊にゆだねよ    
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2020・01・05


 年老いて気力の減退するは、即ち零気の減退するが故なり。零気減退すれば、肉体の細胞が従って消滅す。故に老ゆれば姿も弱はくなり行くなり。深山幽谷に行をなす行者達が肉と云ふものを失ひて一見骨と皮との如くやせ衰へて居ながら、壮者をしのぐ力を有し居る姿を世人は画によって見たることあらん。其は絵空事にあらず。事実かかるものもあるなり。然るに一見やせ衰えたる如く見ゆる行者が、壮者をしのぐはたらきなし居るは、零気を霊気に変へてはたらかせ居る故なり。零気と霊気とは同一の如く思はるれど事実は然らず。零気は肉体の細胞組織を変ぜしむるはたらきを有せど、肉体の変化如何あらんとも、其とは別個のはたらきをなすによってなり。肉体を零気に任せよと云ふは、ここに零気と霊気との相違あるによってなり。世人は霊気と零気とを同一の如く考ふるによってその区別を知らず。故に迷ふなり。零気を重んずるが故に肉体衰弱せば従って心も弱はくなるなり。霊気を重んずれば肉体の強弱に不拘、霊気は是を強くす。零気は霊気の枝葉なるが故なり。深山幽谷に入りて荒行をなすは即ち零気を消滅せしめて霊気を求めんとするがためなり。されど世上に住居する世人にはかかる事を敢てなすに及ばず。零気の枝葉を繁らすとも可なり。さりながら枝葉にのみ重点ををきて、是にまかす事をなさずして、幹に相当する霊気に重点ををきて、其に実をもたらせなば安全ならん。然るに世人は枝葉にのみ囚はれて、大切なる幹を忘れ居るが故に、肉体のみ、太りて大切なる心を傷け居るが故に、修養修行の道は明らかならず。唯暗きところのみ追ひ求め居る事を思ひて、すべてを霊気にまかせよと教ゆるなり。気光素と光気素との相違と云ふは是なり。世人の修養修行は光気素の方面にひかれ居るが故に、是を気光素の方向に向はしめんとして、斯くは説き居ると承知せよ。

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