覚者慈音1653      未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1653
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十五      霊と魂について   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2020・01・03


 明日をも知れぬ生命と云ふは肉体を指すなり。明日をも知れぬ魂と混同すべからず。草木にも生命なくんば育つものにあらず。忽ち枯死す。生命は魂のはたらきをなすものにあらず。例へば生命を機械のはたらきとせば、魂は其をはたらかする力を備ふると同様の関係もあるならん。機械には部分々々のはたらきを有せど、そのすべてが一体となりて何かのものを組織せんとなすことを得せしむるは、即ち魂の如き別個のそなへなくんば構成せらるるものにはあらざるべし。唯機械を運転させ居るのみにて、一つの業を営ましむにあらざれば機械は空舞にて終るならん。魂と生命の関係は斯くの如しと知らば可なり。魂を働かしめんが為に生命に時間を与へ居るは即ち神なり。其神の力を魂に通ぜしめ、更に生命に通ぜしめ居るものは、即ち霊なり。所謂霊とはすべてに働く力なりとの結論に達せん。所謂霊とはすべてにはたらく力なりと語るとも敢て過言にはあらざるべし。故に人の魂は霊によりて磨かれずば光明は得難し。又すぐれたる智慧も得られざるなり。故に霊のはたらきを巧みに応用して、神の力を霊に依て求めずば、魂は磨かるるものにあらず。霊の力を以て魂を磨き、是に依って神の力を求むるにあらざれば、神を知ることは難し。神と魂とのつながりは、霊なることも是にて認識なしたるならん。今後はこの霊を巧みに応用する方法を考究せざるべからず。霊の偉大なることに心づきたらば、先づその霊に対して感謝の心を以て礼を厚ぅせざるべからず。礼を厚くすれば霊は礼に順じてはたらく。霊の力は礼を厚ぅする毎に、いよいよその度を加へて魂に順じ来る。霊は即ち自然なり。正しき自然とは即ち霊を云ふなり。世人の考ふる自然にはあらず。世人は常に霊を忘れず、然して霊に従ひ居らば即ち霊にかへりたるなり。霊に帰ると云ふは自然に従ふと知らば可なり。霊の自然に順ずるが故に、正しき自由は得らるるなり。大自然とは神より出でたる霊を云ふにて、世人の考ふる自然とは異なり居ることも推して察することも得るならん。礼を厚ぅすると云ふは霊に従ふを云ふなり。是法なり。汝の心を清くせよと貴尊方が仰せられ居ることは、霊によって己が心を洗ひ清めよと仰せられたるなれば、その教へに見る如く霊によってのみ魂は清めらる。霊をおろそかにせば、魂は汚れを重塗るのみにて清めらるるものにあらず。魂の汚れを霊によって霊の力をかりて、是を磨き清むるを法と云ふなり。

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