覚者慈音1582   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1582
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十五      言行一致せざるは何故か   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・18


 例へば他人に対して此事を語らんと思ふ時、一つの言葉が組織されて人に通ずとせんか、其組織されたる言葉は心中に於て、破壊より融和組織となりて、他に伝はりてその意味を明らかにす。故に一つの言葉を発するにも破壊分解融和組織されて、更に結果となりて通じ居ることより考ふる時、其言葉に組織さるる迄のものが、何かその人の心中に潜在なし居る事に迄考へを深くし見よ。然る時はその潜在し居る何ものかの力が、そのままにては言葉とはならざるべし。故にその何ものかが破壊分解融和組織の順序にて、言葉に組たてられたるが故に言葉となる迄は、無形の破壊分解融和組織の前門ありて、更に言葉となりて又破壊分解融和組織の後門となり、然して言葉の意味が結果となりて、他の人に通ずと考ふれば、無始終霊子の破壊の意味は察せらるる筈なり。もとより無始終霊子には、破壊分解融和組織の四つのものが含まれあることは云ふ迄もなきなり。故に言葉となる迄の潜在し居るものを前門とし、言葉となりたるものを後門と見なさば、八大門の意味は聊か解することを得るならん。我の語る言行とは即ち此意味を指すにて世人の考ふる言行とは、趣きの異なる事を承知せられたし。何故かかる言葉を用いしかと世人は疑問を抱くならん。唯前門後門とのみにて説明されなば其にて可ならんに、言行など云ふまぎらはしき言葉もて説明せらるれば、却て複雑となりて、其意味を認識する事は至難ならんと思ふならんも、是には後に深き理由あるによって、かかるまぎらはしき重句を敢て用い居るなれば聊か世人には苦みを多くするならんも今暫く忍びて聞かれん事を望む。
 八大門を人身にとりて説明せんに、先づ頭を前門と見なさば、胴体は後門に匹敵す。是と反対に腹を前門と見なすならば、頭は後門の関係となる。世人は母胎に宿りし時は、即ち腹は前門にて、頭は後門なりしが、生れ出でてのちは頭は前門となり、腹は後門の関係となり、是が或場合腹と頭が互に順逆の関係によって、或場合は頭は前門となり、腹は後門となり、又或時は腹が前門となり、頭が後門となる如く、互に其位置を交換なしつつ進歩発達なし居ることに思ひを廻らすべし。

×

非ログインユーザーとして返信する