覚者慈音1579   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1579
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十五      言行一致せざるは何故か   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・17


 世人は唯望みのみ抱き居りて行はんとせざるによって何時迄も目的は達せず、考へにのみ囚はれ居て空しき光陰を空費なし居ることに心附かば、一旦目的をたてたる以上、なるとならざるは別として兎に角実行にうつすこそ肝要ならん。是は修行上の事なるが今ここに掲げたる項目は、その範囲を拡大して説明せんとなしたるにて、言行と云ふ言葉の意味は前述の姿とは聊か趣を異にしたる論説なれば注意して聴くべし。
 言行一致せざるは何故かについて世人は考へしことありや。世人の考へは云ふべくして行ひ難きとか、或は口には言へどさて行ひにうつさんとせば、そは容易のことにあらずとの如き意味を考ふるにすぎざるならん。我の今より語らんとなす言行とは、其等の事柄を今一段深く掘り下げて説明せんと思ふなり。即ち言とは不確定語を意味し、行とは確定語意味す思ひてきくべし。所謂言とは空間を指し、行とは実間を指すと思はば可なり。空間を考ふるは即ち不確定を意味し、実間を語るは確定を意味すと知らば、此両者を一致さするには如何なる法を以てすべきかに思ひを致さざるべからず。不確定は即ち確定より出発し、然して不確定へ不確定へと追究し行くにあらざれば言行一致せざる道理あらん。一つを明らめ進んで、更に一つを明らめ行くにあらざれば、実間より空間へは進まれざることは云ふ迄もなし。一歩進みて又一歩行くに従ひて、即ち確定より確定へとなり不確定は一歩々々消滅なすならん。かくして確定より不確定へと歩みを進むるによって、不確定は確定と変ずるが故に不確定は確定より進むにあらざれば明瞭とはならざるなり。
 世人の行ずるを見るに確定をなさずして、唯一飛に不確定を探らんとなす無謀の行ひをなし居るが故に、言行は一致せざるなり。智慧は下方より上方へと押し上げられて湧き出で来る。是実間より空間へ、即ち確定より不確定に進み居ることを工夫せば、智慧の進むは即ち言行一致なし居るに他ならずと考へざるか。かく語らば世人はこじつけの如く思ふならん。されど事実にしてこじつけにあらざることは、我等経験上断言して憚らざるが故なり。世人の考へは空間と云へば唯空想と混同して考ふるが故に、不確定へ一飛びに飛上らんとなす如き考へをなすに依て行にうつさず。所謂言行は分離せられて言は言、行は行と別れ居るなり。此理によって又更に新らしき考へを起さざるや。例へば井戸を掘ると思ひて是に対して考慮し見よ。一鍬々々地中へ々々々と堀り下げ行くも、是水の有無未だ判明せざるなれど、唯水を求めんとして屈せずたゆまず一鍬々々と掘り下げ行くならん。是を水の方より考へを廻らし見よ。水は下方より上方へ湧き出で居るによって、堀り下げられて或地点に於て合したる時、直ちに其空間へ湧き出で来るにてはあらざるか。一方は下方へ一方は上方へと歩みをなし居るによって、合して即ち一体となりて、ここに言行は一致なしたりと云ふ結論より考へなば、言行一致せざれば目的は達し難きことの理は察せらるるならん。下方へ一鍬々々堀り下ぐれば、水の方向へその領土だけ近くなりつつあるが故なるべし。一方は行ひより進み一方は一方は言より進む。一歩行ひが進めば一歩言は進む。然して或地点に達してはじめて言行は合して一つとなることの理より、行の方法を工夫せんことをすすむるなり。されば行ひを先にすべきか、言を先にすべきかの道理は従って明らかとならん。迷ふが故に信を得んとす。迷ふとは暗なり。信とは明なるべし。即ち暗とは不確定にして、信とは確定を意味するならん。暗あるが故に明の要あり。されば信ずる明の力もて迷ひの暗を照しなば、不確定は確定によって明らめらるると知らざるべからず。斯ることは誰しもよく承知なし居ることなれど、我の語らんとする処は是等の譬喩を先に語りをきて、更に深く々々追求の手をゆるめず探らんとなすものなり。言とは目的の地点を指し、行とは其に通ずる道を指すにて世人の考ふる言葉の意味を以て語るにあらねば、言葉の意味を考ふることなかれ。言葉の言行とは其趣きをやや異にすればなり。

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