覚者慈音1573   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1573
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十四      根本愛と愛の種類   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・13


 愛と一言に称へ居れど愛の種類はきはめて多し。汝は草木を愛して是を栽培なし居るならん。汝は碁将棋を愛して娯しみ居るならん。汝は書画骨董を愛して是に利をはからんと企み居るならん。酒に酔ひ煙草に親しむも是又愛なり。茶を愛し酒を愛するもみな愛の部類に属す。是等の愛を煩悩愛とも云ふならん。日々の食事又同様なり。家を愛し衣服を愛す。是又愛の部類なり。かく思ひをはする時すべては愛ならざるもの一としてなき事を考慮せざるべからず。五穀を栽培するにも愛の力の相違にて、収穫の程度にもそういあることは世人も実験せしことならん。書画骨董を愛する人に於ても利慾を思ひて愛をうすくせば多くの利益は得られざるべし。そは別として我等が語らんとする処は他に在るなり。
 世人は我身を愛するあまり愛の力が那辺にあるやを知らずして、却て身を損ひ居ること多し。是正しき愛を悟らざるが故なり。例へば汝が友は家を建てたりとして、彼に到り其家を見て世人は如何に考ふるや。かばかりの宏壮なる家を造るには定めて費用のばくだいなりしならんとのみ語りて褒め言葉となすにてはあらざるか。かかる言葉にて賞賛するならば友は不平の心にて汝をうとんずるならん。友の苦心のこまやかなる処迄見きはめてその一々に対して賞賛の辞を送るにあらざれば友は満足せざるべし。家を建つるに友の苦心その苦心こそ家に対する愛ならずや。汝が褒むる言葉もその苦心を見きはむる底の心あらば、友の愛と汝が愛とは家に対する真の愛なるべし。世人はもの言はぬものならば愛しても通ぜずと感ずるによって、建てたる人の愛をのみ求めんとなすは真の愛を知らざる故なり。心なきものに愛を与へて何かせんと考ふるが故に事物に対しての愛は軽くなるなり。愛の力は心の有無に不拘通じ居ることを世人は考へしことありしや。
 例へば酒を飲むに盃を以てして其盃に愛をおくらず酒にのみ愛を送る人は多からん。此盃にて酒を味はば定めて酒の味は一層深からんとの愛にて盃を取らばその酒の味は一層美なるべし。心なきものに心を与へて愛するは是思ひやりの愛なりとのみ世人は考へ居るまらん。我の云はんとする処は今一段深き処に意味を存す。

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