覚者慈音1564   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1564
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第五十二      身心の信仰と縁の関係 その一   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・09


 裂きたる紙を糊によってつなぐとせば糊は二つをつなぐ縁のもとなるべし。所謂縁のもととは糊なりと云ふも差支なからん。精神信仰と肉体信仰とが両道に別れ行くは恰も樹木を育つるに似たり。幹が或程度上昇すれば二股に別れ行くが如く、信仰も或程度進まば精神信仰と、肉体信仰の二股に別れ行く事は、是と同様の関係あることに注意せざるべからず。樹木は二股に別れ更に又別れて枝より枝と繁茂し行くなり。されど肉体信仰と精神信仰の別れは稍もすれば一方の枝は繁り、一方の枝は萎縮して繁茂せざる如きこと往々見受けらる。この両者の信仰は互に平均してのび育つならば、両者とも従って等分に繁茂することを得るならん。一方の枝は養分を完全に吸収し、一方は吸収力欠くに依て、斯くも平均せざる育ちかたとなるなり。この理をよくよく考へて等分に修養することを一体の信仰といふなり。然るに世人の修養なし居る様を見るに初心者のうちは肉体信仰に重点を置きて軈てその信仰が進むに従ひ、精神信仰に傾き、肉体信仰は薄弱となる傾向あり。故に其がためにまがりくねりたる信仰となりて直き樹木とはならざる様を我等は知る。又精神信仰より入りたる人は、肉体信仰をおろそかになすが故に、是又同様の姿となり居ること多し。一方に傾けば一方はおろそかになるは、是又是非もなきことにして自然は斯くの如くなさしむるによってなり。両者共に一体化して向上するならば直き樹木となりて高くそびゆるなれど、一体化せざるが故に曲りくねりたる樹木となるに等し。この理をよくよく考慮して両者一体の信仰によって進まざるべからず。枝は別るるとも根は一なり。その根より別れたる両者に吸収せしむるはたらきを即ち縁の糊に等しと云ふなり。今是等の事柄を語るに先だち先づ信仰の事柄について少しく語らんとす。
世人は従来入門せし時は肉体信仰よりはじまり、其が精神信仰を得るに従ひて両者一体化して進み来りたり。然るに神と云ふ大なる力のあることを知るに至って、漸く精神信仰に重点をおきて進み来りたるため、肉体信仰は稍薄弱となり、精神信仰は強固となるに至りたり。ここに至って肉体信仰は薄弱のため迷ひを生じ、両者相伴はざるに至りたるため、二股に別れたる信仰と変じたるなり。故に日々の生活と信仰生活とは区分されて、信仰、生活は生活と別個の考へをなすに至りたり。恰も一枚の紙を二つに裂きたるに等しき姿なり。故に神の前には手を合はせ、神の前より去らばもとの貧慾の心に変じて争闘の醜きも敢へて至る。今少しく具体的に例を挙げて語るべし。

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