覚者慈音1562   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1562
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第五十一      自然と因縁の関係    
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・08


 縁とは空なり。空なるもののはたらきによって実在化せしものを、互に集めて是にはたらきをなさしむるを見て、世人は不思議の感を抱き居れど帰するところは、空の力のはたらきにして敢て不審するに足らざるなり。縁にも自然と、不自然の関係あり。太陽系宇宙が廻転して衝突せず、規律正しく廻り居るも是縁のちからなり。もしその中に衝突して破壊するものあらば、それは不自然の縁によって是をなさしめたるに他ならず。破壊せんとなす時は不自然の縁を用い、組織せんとなす時は是を自然の縁に用いしめ居るによってなり。人と人との交はりに於ても斯くの如き道理あることを知らざるべからず。是等の事柄については追々語るべけれど、とにかく縁とは先づ斯くの如きものにて、空なるが故にあるなしの迷ひは生ずるなり。世人はつながるれば縁ありと思ひ、離るれば無縁なりと思ふが故に、縁は二つに区分され居れど事実は縁の方法が、自然と不自然の関係に他ならず。結ばるるは自然なることもあり又、不自然なることもあることに思ひを廻らさば、有縁無縁の区別あらざることを認識するに至らん。結ばせて永久ならしむるはその結ばれかたが、自然組織なるによって作られたりと見なし、結ばれてはなるるは不自然組織の縁によってかく為さしめしと思はば縁は、自然不自然の法則にして、有無の区別はあらざることに気づくならん。
 例へば一旦夫婦となり子迄儲けのち更に別るる如きは、是その子をつくらんとのはからひより自然より不自然に変へたるか、或は不自然より自然に変へたるに他ならずと考ふれば、縁の道理は解することと思ふが如何 !
 是等の事柄に関して世人は一旦結ばれて別るるごときは、あさき縁にして、いたずら事の如く思ふならん。されど是等は自然縁不自然縁の理由より建設破壊を、或は破壊建設の両道にまたがりたる法則にて現はしたるにて、その目的は何にあるかを考慮せば、自づ解決は得らるる道理をよくよく考慮せば可ならん。世人の思ふあさき縁と、神の法則の縁とは、従ってその趣きを異にす。子を儲けんが為に結びたる一時的の縁は、あさしと思ふは大なる誤解なり、深き意味ありて結ばれたる縁なるによって、その縁は浅きにあらず、実は深き縁なりしなり。彼と是とを交はらしめて、然して斯る子を儲けさせんとの思ひより組織されたる縁なるが故に浅きにあらず。唯時間の点より考察せばそはうすき浅き如く考ふるにすぎざるなり。その夫婦が別れて又他に相方が縁づきて相互に又新らしき子を儲くるとも、決してそのもとの夫婦の縁は断れたるにあらず。始めに生れし子によって縁はあみの目の如くつながれあることを考慮に入れざるべからず。俗言にもとの夫婦は正直なりと云ふ言葉さへあるにてはあらざるか。縁の自然不自然は先づ斯くの如き理由あることに
留意せよ。

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