覚者慈音1555   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1555
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第五十      自然の法力と不自然の法力    
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
            2019・12・02


 世人の世界は気光素を逆用して、不自然のはたらきに用い居るが故に、光気素となりてすべてを破壊す。もとより破壊も自然なり。組織も亦自然なることは云ふ迄もなければ、事に処して破壊すべきものと、又組織するものとの二道関係あることは、相対界の法則なれば破壊せずば組織するあたはざる場合、光気素の必要もあらん。自然はかくも順逆の定まりあれど、用法をあやまれば、組織は破壊となり、破壊は又組織となることもあらん。ここに至って自然の力の用法に対しては、正しき自然を理解して用いずば、あやまちを生ずる恐れあることは云ふ迄もなし。もしここに神ありと仮定して考慮し見よ。神の声は汝に来り、然してその声が言葉となりて、汝の心に伝はる。是即ち霊子のはたらきなりと思はば如何 !
  汝は思ひもよらざることを心に宿すことあるならん。即ち霊子のはたらきあるが故なり。即ち自然の声なり。是又神の声なりと察することを得るならん。聞えざる神の声を聞きたるによって現はるる結果なりと見て差支なからん。是等の道理を認識するならば神の存在の有無に不拘、何か一種の不可思議の如く思ひ居ることも、是又霊子の自然に現はるるが故なりとの理論も成立するにてはあらざるか。一概に是をこじつけとして考ふるや。そは世人の自由にまかせん。真理はここに存す。母子のつながりあるが故に、遠くはなるるとも互に慕ひ慕はれあることも是みな霊子の関係による。されど是は唯親と子の思ひが霊子によってつながれあるにすぎず。是を大きくは地球一般の人類に及ぼさば、小さき汝の心は全地球に拡がりて通ずることも、敢て難きにあらずと思ひて、修養修行の道を広くせよ。わづか親子夫婦兄弟のつながりに於てすら斯くの如し。是を拡大して全地球に及ぼさば、その力は大きくなりて全宇宙の人類、その他動植物に至る迄、その力は通ずれば霊子の働きは大きくなりて、少しも洩らす事なく是に及ぼさん。宗教者の教へも昔より今に伝はるは、即ち霊子のはたらきあるによってなり。もし此霊子がはたらきをなさざれば現存するものにあらず。世人はその教へが伝はり居るは文獻によると思ふはあやまりなり。文を見るは文字を見るにあらず。文字によって現はされたる何ものかは、心に伝はりて是を認知することを得るは、是みな霊子のはたらきによると知らば、自づと霊子のはたらきは或は小に、或は大に自由自在の力ある事に気づくならん。

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