覚者慈音1546   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1546
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十九      自然の順逆について    
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
            2019・11・25


 今迄述べ来りたる自然に於ても、根底自然中途自然結果自然等の定めあるによって、単に自然と統一したる言葉にて説明なし居るため、自然の道理を誤認し居る点少なからず。然して自然に於ても亦順自然と逆自然のあることに着目せざるべからず。例へば我より彼に至るとせんか、その順路を仮に自然と見なすならば、彼より我に来るも是順自然の経路なるべし。我より出でて彼に至り、彼より我に来るもこれ自然と思ふは当然なるべし。然るに我より出でて彼に至り、然して我にかへりたりとせば、これを自然往復として考慮し見よ。行きたるは順自然にて、帰りたるは逆自然となる関係となるにあらずや。我より彼に至るも自然、彼より我に来るも自然、然して我より彼に至り又我に帰らば、是を順自然と逆自然の関係として説明する他なからん。然して彼我の関係を一廻転したるは、即ち自然に出でて自然にかへる順自然にてはあらざるか。是等の事柄は何れを順とし何れを逆とするやに思ひ惑ふならん。小さき一例に於てすらかくの如き関係あるなり。行く者は帰り帰りては行く、その往復の道は一路なるべし。されど行くと帰るとの関係は一の如く思はるれど、世人は二の関係として取り扱ひ居るならん。是を上がると下るとの関係にて考へ見よ。昇天したる人と下界に堕されたる人との道は一なるべし。然るに昇天せし人と墜落せし人との関係は如何。是を具体的に語るならば長者になりたる人と、破産して貧者になりたる人の如しと考へて思惟し見よ。道は一なるべし。即ち往復の其の如く、昇落の其の如く、同一経路をわたるならば順逆とはならざるべし。されど事実に於て是を見る時、富める者と貧しきものとの結果に於ては大なる相違あるならん。宗教者は是を総称して貧富一体など称へ居れど貧富の相違は甚だしかるべし。まして昇天したるものと墜落したるものとの樂苦の相違は著しく隔りある事を知るならん。世人は天より下されて下界に来り、更に天界へ帰らば、一往復の順路を歩みたる結果となるならん。是を下界に生れて天界に至り、更に下界に帰りなば、是又一往復の順路を辿りたる結果とならん。この両者を考へ見よ。天より天にかへりたる結果と、地より出でて地に帰りたる相違を発見するならば、ここに自然の順逆をおぼろげに発見すると思ふが如何。大自然の道理は一なり。されどその自然を曲解すれば斯くの如き誤ちを犯すに至らん。天より出でて天に帰るは正しき順なる自然と考ふれば地より出でて地に帰るも亦、順自然と同様の関係なるに不拘、結果に於ては大なる相違ありとは思はざるか。是を我等に云はしむれば天より出でて天に帰るは順自然にして、地より出でて地に帰るは逆自然なりと教ゆるものなり。

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