覚者慈音1544   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1544
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十八    自然因果と因縁関係について
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
            2019・11・24


 されば人間に生れたる以上人間としての 本分を全うせんとならば、人間の自然をよくよくきはむることに心を用ひて、修養の道を広くしてその枝葉を伸さば根は従って広くなり養分は充分に吸収されて、その偉大なる人格を現はすに至らん。是自然の因より自然の結果に及ぼすはたらきなりと考へて修すべし。世人は雑草を多くして互に交叉なし居るを是因縁なりと思ひあやまり居るならん。されどそは因縁の如く思はるるのみにて、互に交叉交はり居るにすぎず。正しき因縁にてはあらざるなり。因縁とは瓜の蔓に茄子をならせせたる如きを因縁と云ふなり。瓜の蔓と茄子とは無縁なりしが、互に交はりを深くする事に於て瓜が茄子に化せられたる如きを、これ即ち因縁と名づくるなり。蔓と蔓と絡みあひ居るは交はり居るにて、其は刹那自然の因縁なりとなして可ならん。因縁にも亦根底因縁と、中途因縁、結果因縁と、刹那因縁の関係あるなり。見知らぬ人と途中にて談話をなすも是刹那因縁にすぎず。つまづく石も縁のはしと云ふは即ち刹那因縁を指すなり。袖すりあふも多少の縁と云ふは即ち刹那因縁に他ならず。他と自と交はりを厚ぅするも是又中途自然の因縁にして、その因縁が末ながく交はるに従って、是は結果因縁と変ずることも考へに入れざるべからず。ここに注意することあり。中途因縁の如く思はれ居る事に対して、是を深く原因に逆上って考察する時、恰も瓜の蔓に茄子のなりたる如き関係ある根底因縁のある事をも考慮を廻らさざるべからず。一言因縁々々と簡単に是を片附くること勿れ。天より受くる因縁は根底にして、然らざる因縁は唯中途因縁と見なして処理する力を養はざるべからず。例へば汽車電車の裡にて何気なく見知りあひたる人が、後に再度会ひて其が交はりを深くし、或は夫婦関係ともなり、又親友関係ともなるならん。是等は即ち天より与へられたる因縁にして、所謂波長と波長が共鳴して結ばれたる結果なりと考へて差支なからん。是等の明らむる事はその一々に於て、遭遇したる場合ならでは教ゆること難し。されどその交はわりの程度が深くなるに従ひて自覚自得する事に心がけ居らば、自然の道理は現はれて、是を明らかに認識せしむる力をあたへ給はん。故に唯かかる事のみと放棄せず、常に心し居らば自然は必ずや汝に理解をなさしむる事は、是天理自然の法則によって現はさると思はば可ならん。この事に関してここに一つの例を以て今後道を修むる人の為に特記しをくことあり。

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