覚者慈音1534   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1534
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十六    有機の因無機の因
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.11.18


 其はとにかく有形と云ひ、又無形と云ふも其は唯言葉の都合によって区分されたるに他ならず。毎々語る如く、有と無との考へは帰するところ一体なりと既に説きたれば、世人もよく理解し居るならん。されど有形の因、無形の因と無との考へは帰するところ一体なりと既に説きたれば、世人もよく理解し居るならん。されど有形の因、無形の因とて仔細に奧深く追究して根にかへして、是が発見に努力せんとつとむる人は少なし。因果の法則は根底より結果に至る迄知るにあらざれば、因果の道理は明らかとならざるは屡々説明したる如くなり。恰も井戸を掘りて水の湧き出づる迄掘り下ぐるにあらざれば井戸のつとめは果されざる如く、世人の多くは井戸を掘らずして穴をうがつにすぎざる底の考へに、すべてを処理するが故に稍もすれば誤ちのみ多く重ねるなり。宇宙全宇宙のすべて外面に現はれたるものを悉くとり去らば、後に残存するものはあらざるかを考へ見るべし。凡てのものを取り去ることを得るならば其は終始あるが故なり。されば終始なきものは是をとりさることも至難となるは必然ならん。我等、是等に対してむづかしき文字を羅列して説明すれば、文体の表面は如何にも立派となるのみにて、世人の心底のまで到達して理解せしむることは不可能となるのみ。よつて平易なる言葉にて世人の考へを喚び起さんと計るによって、文体は複雑となるは是非なきことなり。読者は是を諒として文字の如何に頭を悩まさず大体の意味を知りて、然し斯くあらんかと己が智慧をはたらかせて理解せんことに努力せられたし。
 宇宙全宇宙の凡てを取り去りて後に残存するものこれこそ、即ち終始の区別なきものとなる。ここに迄思ひを致して考慮を廻らすべし。然る時はここに又新らしきものを発見することを得るならん。其は何か。是を無言詞界の言葉にて云ひ現はせば、其は所謂言葉なき言葉にすぎず。是を世人の日常用いる発音にて現はせば厳戒の辞に用い居る(チ)と云ふ音にて現はす他なきなり。唯此一文字を更に世人の脳裡に知らしむるには、此の(チ)と云ふ言葉の如何にかして言葉に変へて示めさずば理解することは難し。されば先づ(チ)と云ふ音を何か世人に理解し易き言葉に変へざるべからず。さて是を如何に説明せんかと迷ひし結果、次に示めす言葉を以て説明せんとす。(チ)即ち無始終霊子と仮称して説明せん。世人の中に是が適当なる言葉あらば変更するも差支なし。(チ)の音は無始終霊子と云ふ範囲狭き言葉になほしたれど、事実は斯る範囲の狭き言葉にはあらざることを附言しをく。此無始終霊子こそ全宇宙本体の姿を云ひ現はしたるにて、無始終霊子こそ全宇宙の姿にて、他のすべては此霊子より組織せられたるものなりと思はば可なり。是等については後にセイキョウ貴尊、テツシン貴尊をはじめとし、教主に至る迄詳細説明せらるると承知す。よって是等については詳細は貴尊方に任せ、我は唯その大体を説明するに止むべし。読者諒せよ。(任し無始終霊子を簡約して今後は霊子とのみ記すべし)

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