覚者慈音1521   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1521
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十三    空間に種子を蒔く法とは如何
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.10.26


 世人の日常の行ひを見るに、例へば花園を造りて見事なる花を咲かせながら、周囲に障壁を造りて他よりの侵入を防ぎ、己のみ朝夕娯しみ居ると同様のことをなし居るは、これ空間に種子を蒔くにあらずして蔵中深く宝をかくし居るに等し。高嶺の花は美はしく開らきかぐはしき香を放ちてありながら、その色香を見よとて喚び居るにてはあらず。人の来ると来らざるに不拘、芳香を間断なく放ちてたまたま通り来る人の目鼻を悦ばせ娯しませあるにてはあらざるか。空間に種子を蒔けよと云ふはその理ここに意味を存す。是を人心にとりて考へ見よ。世人の多くは世のため人のために凡ての行ひをなさんと計りて、却て其がわざわひを多く招き居るにてはあらざるか。即ち我力によって世を救はんと計るは、是我によつてのみ世を救はんとする好奇心に他ならず。さればとて我ありて人あり。人あるが故に我は存すとの意味より様々の事柄を計画するは、是空間に種子を蒔き花を開らかするにてはあらずして、大地を這ひまわるに他ならず。世の人の有無に不拘、美はしき花、かんばしき香を放射なし居らば、その徳その美その香に人は集り来りて自由に楽みをなして喜ぶにてはあらざるか。故に此心して己に架せられたる分野の花を分野の香ひを放射なし居らば、其にて人の人たる使命は果されたることに留意をせば、空間に種子を蒔きて花を開らかする理は頷き知ることを得ん。
 慈音は早く修行修養を積みて世を救ひ度しとの念願あるが故に行は進まず、唯苦み悶へ居るにすぎず。慈音には慈音に架せられたる使命あり。この使命を全うせんがために修行し居るにて、世を救はんとか人を益せんとかの思ひを早く捨てて唯神の命ずるがままに行動なし居らば、行は速かに果されたるならん。然るに彼は未だこれを悟らず。徒らに大地を這いまはり居るが故に、我は空間に種子を蒔けよとかげながら注意なしたるなり。もし彼、行、終りなば花は開らき香はかんばしくならん。然る時は人の来ると来らざるに不拘、すべては自づと救はれて喜びと娯しみを与ふるは当然の理なるに不拘、是を悟らざるは凡中の凡と云ふべし。所謂接続根をはたらかす方法を知らざるために、摩擦根に化せられて徒らに身心を労するは、即ち摩擦魂を育て居りて是に肥料を与ふるにすぎず。早く此苛だつ心を棄てて接続根の力を自然のままにはたらかせて己に架せられたる任務に従事なし居らば、従って空間へ運ばるるものは空間へ、大地に運ばるるものは大地へと自由自在に分離されて、はては空間に完全無欠の花実は開らき、稔るは是自然の法則に従ひたる結果に他ならず。接続根を自然の姿にかへすと云ふは即ち自我心を養成するに他ならず。世人は自我心のみに囚はれて自然にかへることを知らず。自我心の欲するがままに行動することを自然と心得居るに依て、却て接続根より他の様々なる雑草をはびこらせ、遂に摩擦根に化せしめて本来の使命を果さず、果は根と幹も共に枯死する他なきに至らしめ居ることに思ひを致して、とにかく自我心を自然の姿にかへらしめて、是に雑草を繁らせず、その雑草は悉く修養の力によって是を肥料に変へて、根と幹を育つる任務を計るこそ、是空間に種子を蒔きて稔りを全うするは、其にて望は果され使命はなし遂げらるると心得なば、自己の天分は何なるかは知らずとも、軈てはその使命を悟ることも亦容易なるべし。迷ひと云ふは即ち摩擦魂の繁る故なり。とやせんかくやせんと計るが故に摩擦根ははびこるなり。されば兎やせん角やせんとの望をすてて唯々任務を怠らず果すことに努力せば其にてこと足る。

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