覚者慈音1506   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1506
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十八    小我はこだまして大我となるの理論
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.20


 小我とは即ち小さき零を指し、大我とは上位の零を指す。同じ肉体に宿り居りてもかくも相違あるは何故かと云ふに、心の修養に依てそのはたらきを増大すれば、即ち小我も大我に化せらるる道理を説明なしたるにて、これを一括して語るならば、小さき小我の種子を次第に成長せしめて大なる大我に育て上ぐることを指すなり。心は一つなり。然るに世人はその心を育てあげんとせず、故に凡人にて終るの余儀なきに至り居ることを知るならば、幼年の小我は、老年の大我に育てあげらるとの意味は自づとうなづき知ることを得ん。一つの事柄に対して是を明らめ知りたりとて其にて小我は大我に化したりとは云ひ難し。世人は一つの事柄を考案工夫して漸く心のままになりたりとて、其にて小我は大我となり居ると考へなば大なるあやまちを生ず。所謂一つの事をなし遂げたるにすぎずして、全部の事柄をなしとげたりとは云ひ難し。されば小我を大我になせよとはすべての事柄を明らめつくす底ならでは、真の大我とはならざることに心をおきて信力を強くし念力をはたらかせて是によつて望みを達するにあらざれば、人道の何なるかは知ることを得ざると承知せよ。
  零コンマ零より見る時は、即ちコンマは接続根に相当すとの思ひにて此コンマを如何にはたらかすべきかに思ひをはせよ。コンマは障碍物なりと説きたればこのコンマを外さざるべからずと考ふれば、ここにコンマと云ふものは大なる修行の妨げをなすものなりと思ひてこれを根絶せしめんとはかるが故に、コンマを清除することは至難となるなり。大凡障碍物となるべきものを障碍物して取り扱ふが故に、清除することを得ざるなり。障碍即援助、援助即障碍の関係あることに気附くならば、従ってその用法を障碍に用いず、援助に用ゆる工夫せざるべからず。先に語りし如く信力も強ければ上方にはたらき、疑力も強ければ下方にはたらくとの意味を語りおきたり。大悪人即大菩薩、大善者即大悪の関係より、此コンマに相当する接続根の大切なることも考慮に入れざれば、信疑の力ははかり難し。あやまてば疑力と変じ、正しければ信力に通ず。世人はかく語ることを聞きてむづかしく考ふるが故に解し難きこと多し。すべてをむづかしく考へずなるたけ平易に平易にと考へて工夫せざれば望みは達し難し。所謂言葉と云ふは不自由なるが故に、説明に於ても従って或はむづかしく或は平易に解することを得るなり。世人は神語神教を知らざるが故に、無と云ふ言葉は世人に通ぜざる不自由あり。言葉なき言葉にて世人の脳裡に印象あるならば凡ての教へは通じて理解も亦速となる。よって世人は言葉なき言葉をきく迄の修行修養を重ねんことを望む。 

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