覚者慈音1505   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1505
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十八    小我はこだまして大我となるの理論
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.20


 小我より大我、即ち我と我の関係ならば大我は我よりはなれざるならん。もしその大我を神仏と見なすならば、神仏は常に汝とあることも亦知るならん。然るにその大我をすてて小我にのみ思ひをはするによりて、大我と小我の間にコンマと云ふ障碍物が常にはさまり居りて妨げをなし居るなり。所謂零コンマ零のコンマは、即ち障碍物なるにより、此コンマと云ふ障碍物をとりさるにあらざれば望みは達し難し。是をとる方法として拝みと云ふ船の力、或は汽車の力をかりて零に和するコンマの道を乗り超えると見なして進まば可なり。零と零とを隔つるコンマと云ふ経路とも見られ、又接続根とも見なして考究を進むべし。零と零とならば大小の区別は判明し難し。されど零コンマ零とならばコンマの下は小にして、コンマの上は大と云ふ関係もあるならん。所謂コンマ以下の零は小我にして、コンマ以上の零は大我となる関係あるによってなり。かく語るとも世人は零と零との二個は一方は大きく一方は小さしとの考へを抱くならん。例へば一00として験すれば、一の次の零は上位にて次の零は下位に属す。然りとせば上位の零は大きく、下位の零は小さくなるにあらずやとの疑問なり。されど我の語る二個の零とは上位も下位もなき二個の零を云ふなり。この二個の零は心と魂の関係もあり、又心と心の関係もあるなり。所謂恐怖一体心の時に語りし岩の上に座したると云ふ底の人の姿は、心が未だ一体化せざる場合を云ふなり。是は零と零と二つが未だ和合せず分離なし居る姿と思はば可なり。コンマなくとも二個の零は一体化せざれば正しからず。例へば水滴が地に落るまで一体化せざると同様の関係なりと知るべし。零零一とせば、一より上位の零は大きく、一は小さしとの理よりコンマの関係は推して知ることを得るならん。是等は数学上より観察したる比喩なれど、此数の理論は世人の世界にのみ通ずるにて、上界には通ぜざることをここに附言しをく。

×

非ログインユーザーとして返信する