覚者慈音1492   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1492
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十五    一心と一方心の関係
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.12


 引力は一方に在らば一方は圧力となる関係より考察して、一心と一方心の研究を工夫せざるべからず。所謂一方に明あらば、一方は暗となる道理あらん。世人は精神統一をなすにあたり心を一にせんとして却て其一心を、一方心に化せおるにてはあらざるかに気附かざるべからず。無念無想と称してすべての思慮をなさざる底の行をなし居れど、我等の眼より見る時は無念無想にあらずして心を空虚ならしめんと工夫なし居るにすぎず。
 大凡人身に宿らせたる心を空虚にせんとはかるとも、そは人力の及ばざる処にしてかかる事はなし得らるるものにあらず。無念無想と称して何一つ考へることを静止せんとして却て思いをわづらはすが故に、無念無想となり居る如く思はるることは、事実身心の内に思慮となるべきすべてのものが散在して却てなやみを増し居るにすぎざるなるなり。精神統一なしてすべての事柄に対して己の心より工夫せんとなさず、又他をもたのまず唯霊心に万事をゆだぬるにあらざれば無念無想ととはならざるなり。雑念も皆悉くを霊にゆだね自己の考へを是にはたらかせざる底の行を即ち統一と云ふなり。是自力に偏らず又他力に偏せざるが故に、自他一体のはたらきより霊心は是等を意の如く処理するが故に、己が心をいためしめずともすべてに信力念力のはたらきに化せられ、中心より光明は輝きて外部に及ぶ。
 世人は統一と考へて心を臍下丹田に押し込めんなすが故に、そのはたらきは一方に偏る。一方にに偏らば一方は空虚となる。即ち地球の廻転の如し。一方に昼あらば一方は夜となるの理によつて工夫し見るべし。例へば右に心が集れば、左は空虚となる。是即ち引力一方にあれば圧力又一方に現はるると同様の関係と知るべし。故に自力に偏らず他力に偏らざる底の行ならでは統一はなりがたし。又引力に偏らず圧力に偏らざるにあらざれば通ぜざる道理あらん。かく語りなば世人は迷ふならん。気光素と光気素の関係は那辺にありやに思いをきするならん。尤もなる事なり。即ち引圧平均すれば電気は起らずとの理由よりかく迷ふならんとは思へど、是には世人の考へと我等が説明とに相違あるが故なり。自他一如となる事によって、時に応じて自にも通じ又他にも通ずる理を考究せざるべからず。

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