覚者慈音1488   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1488
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十四    引力圧力を全からしめよ
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.09


 さて接続根に於て引力圧力の平均しあるものならば、反抗心も一方とならざる道理を考へざるべからず。反抗して尚もその反抗心を強くし然して争ひと化せしむる如きは、是一方的に化せられたるはたらきなるが故なり。所謂引力を圧力に変へたるが故にかかるあやまちを生ず。然してもしその圧力が相手の圧力より劣りたる時は自らは破るる他なかるべし。ここに工夫あり。反抗心を以て彼に向ひたる時その程度が彼より劣りたりと気附くならば、忽ち其を止めて又何かの方法を考究するならん。所謂圧力を弱からしめて又何かの方法を工夫して、然して彼に勝たんとする争闘心は未だ絶えやらざるが故なり。
 例へば幼児は何事か願ひを母に訴ふる時たのみてきかれざれば更に泣きて希望の達せらるる迄、その法を用い居れど其にても目的を達することを得ざれば、更にそれを止めて母の心に合ふ方法を用い居ることも世人には知ることを得ん。幼児の時代に於てすらかくも法力はそなはり居るも、是接続根のはたらきにてその力の現はれにすぎず。是は自然的に接続根より生ずるにて、所謂智慧の芽生なりと見て差支なからん。所謂圧力と引力とを塩梅して用ゆると云ふは、これ引圧調和の方法を云ふにて、この引圧をはたらかすことは、智慧の増加をはかる機械の如しと思はば可なり。即ち接続根は引圧調定器とも称すべきものにて、是あるによって種々様々の事柄が感受して、智慧を深くすと思ひなばこれに重点をおかざるべからず。唯摩擦根として、その摩擦根を無益にはたらかすならば、人間の人間たるつとめは果し難く、果は動物性に終らん。
 人間の肉体にとりてセイキョウ貴尊が臍は大切なりと仰せられしことを世人は思ひ浮べ見よ。接続根とは何か、又何に相当するかに気附くならん。無用の如く思はれ居たる臍にしてかかる大切なるものの意味を理解するならば、臍の大切なる事も推して知ることを得ん。臍の表面は恰も樹木の節の如く思はるれど、其は裏面は或筋肉が肝臓に伝はり居ることを考へなば、無益のものにあらざる理も亦推して知ることを得ん。世人は母の母体にありし頃母と我とのつながりは即ち臍にありしことを知るならん。此世に生れてこれを切りはなさるるともそのつながりは他に何かのものあることに思ひを致すべし。樹木に結びたる稔りにもこの関係ある事を考慮に入れよ。詳細は語らじ。世人の智慧にて工夫せんことを要求す。

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