覚者慈音1489   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1489
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十四    引力圧力を全からしめよ
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.10


 今迄語り来りし如く引力と圧力との関係は用法によって或は圧力となり或は引力となる。例へば世人は我友に対して閑暇あらば遊来を乞ふと語るはそは引力を旨としたるならん。されどその言葉の程度に応じて来るものと来らざるもののあるは、是引力の軽重によってなるべし。本心より彼の友の来らんことを欲する時は彼は来るべし、或は来らずとも可なり。唯世辞言葉にすぎざる底の引力ならば友は聞き流して来らざるべし。神に願ひたのむ心は是即ち引力に帰す。故にその願ひも本心より祈るにあらざれば引力はうすし。圧力とは即ち去れよ、帰れよと云ふ言葉によって現はさる。此理を認識するならば引力の如何に尊きかを知ることを得るならん。圧力は光素にして引力は気素なりと仰せられしことより推理せば、両者の用法如何によって光気素ともなり気光素ともなる理も推して知ることを得るならん。圧力は外部を意味し、引力は内部を意味す。修養とは引力にして、内部に通ぜしむることを云ふならん。圧力とは内部のものを外におくり出すを意味す。故に人にものを教ゆるは即ち圧力による。法理も亦察することを得ん。然りとせば何れが大切なるか。もとより引圧共に大切なれど、圧力に重点をおかば即ち気光素と化す。かく語ることによつて世人にはいささか修養修行の道理を諒解する手引きとなりたることを我は知る。山間幽谷にありて種々様々行をなし居るものの中に魔法を旨として行じ居るものあり。是等の中には蝦蟇の妖術、或は蛇、或は猫などの魅力性を応用したる魔法を用い居るもの数々あり。蝦蟇蛇猫等はみな引力性に富みたる動物にて、是等のもののわざを見て其によつて案出したる魔法は、みな悉く引用性応用の術なり。世人の精神統一とは圧力性の方法を用い居りて引力性方法を用いざるが故に統一は不可能となり居るなり。

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