覚者慈音1487   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1487
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十三    自然性接続根について   其二

        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.09


 接続根には引力圧力あるによってその用法如何によつては、圧力にのみ走り、又引力に走ることを考へて、是を按排するにあらざれば誤ちは多し。相対性なる人間にはかくの如き具備あるによって摩擦根を生じ、常に争闘の断間なく又種々様々の軋轢を生じ居ることは、これ天より授けられし自然の法則なるが故に、あやまてる方向に向って是を用いなば悪心となりて争ひは絶えやらざるなり。されど此摩擦を正しき方向に用ゆることによってて争闘は緩和組織の最後と変ず。悪き方向は分解破壊となりて終る事に思ひを致さば、その用法の如何をよくよく考慮工夫して天の使命を全うせざれば、人は向上すること難く又低下することも難し。故に宙に迷ふの他なからん。さりながら向上するは目的なるに不拘、低下する方向へ世人はむかひ居るにてはあらざるか。低下するは易し。向上は至難なりと考ふるが故に、その間に於て思いをあやまらせ居ることは我等のよく知るところなり。向上せしめんとして茎にのみ囚はるれば根は弱はくなりて向上を妨ぐ。又根にのみ囚はるれば茎はのびざる道理もあらん。よつて根と茎を等分にして育つるにあらざれば、完全なる樹木とはならざるべし。此処に深く思ひを廻らして工夫せよ。今日アメリカに行はれてある選挙に於ても一方は勝ち一方は破る。破れたる者は勝ちたる人を祝福し居る美風は汝等にとりて如何に考ふるか。又是等の道理を認識して己が修養に供せんとはかる方法を熟慮案出せざるべからず。破れたるものが勝ちたる人を祝福するを世人は如何に考へ居るか。もし汝等ならば如何なる思ひを抱くか。我に云はしむれば世人の中には自我心強きものは勝ちたる者を祝福すると仮定して考ふる時即ち凡人は二心ありはせぬかと思ふなり。そは一方を祝福するは表面をごまかすにすぎず。自らの心はたしかに傷き居るにてはあらざるか。摩擦根の理はここにあるなり。又これを育つる方法を工夫するにも是等の事柄よりよく推理すれば可ならん。大衆の為に利益を計らんとて己が身を忘れてたちたる人ならば、己の破れしは大衆の心に合はざるが故なりと深く反省するは是信の人なり。己が考へのみにて正しと思ひ居たる事も一般には正しからずと見るならば、そこに己の思ひに欠陥のありしことに気づきて改むる底の修行にあらざれば、二心ありては常に摩擦を生じて争闘心となり、身心に傷く結果となるは理なるべし。平和の為に戦ひをいどむ、是は相対なるが故に余儀なき事なれど、戦ひのための争ひならば、是は凡人のなすわざにして非凡の人のなすことにあらず。されば是等の道理をよくよく考慮して修養の道を広からしめんことを望む。

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