覚者慈音1486   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1486
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.10.08
第三十三    自然性接続根について   其二


 我、斯く語ると雖も世人には理解しあたはざる事多からん。何となれば接続根は唯一方へ圧力となりてはたらき居ることにのみ囚はるる故なり。世人も知る如く圧力と引力は交互に行はれ居ることを考へざるべからず。所謂圧力は引力を伴ひ、引力に圧力を伴ふの道理に思ひを至らざるべからず。故に接続根にも圧力あるが故に引力を伴ふことに思ひを廻らさざれば、一大事を悟ることは難し。されば接続根には圧力性と引力性あるによつて摩擦根は生ずることも推して考へざるべからず。此理を知るには即ち水あげポンプの事に思ひを廻らさば圧力と引力とは互に交叉なしてはたらき居ることを知るならん。又世人が呼吸し居るも即ち引力と圧力との両道行はれあることも推して考慮に入れよ。一方に圧力あらば一方は引力となるの理を知らば、其にてすべてを認識することも難きにはあらざるべし。世人は日々完全なる呼吸をなし居るや。吸気と吸気とを正しくなし居らば肺部のはたらきは全きを得れど、呼吸乱るれば肺部は傷く。肉体に於てすらかくの如き理あるに不拘、世人はものを考へ居らばその考へに囚はれて呼吸は乱れがちとなるによって肺部は冒され、又他の病気をも併発する結果となり居ることを考へなば、身体に対しても常に整はざる生活を営み居ることに心附くならん。心臓胃の腑悉く同様の関係あることに意を用いて身体の育てかたにも、養生の法を工夫せざれば病はまぬがれざるべし。道理はすべてに通ず。是を精神的に用ゆる時肉体を整へて精神と一体化にして、智慧を増進するにあらざれば一方は傷く。一方傷かば又一方も傷く道理を、よくよく考察して日々の業務を怠らずば、其にて修養の道は開らかるると認知せよ。我等世人がものを考ふる態度を見るにその考へ居る事柄に執着して其にのみ心を運ばせて凝り固まるが故に他方面は空虚となりて働かず。故にその空虚となりたる処は他方より何か侵入し来る、これ引力のあるが故なり。かかる態度にて物事を考ふるが故に認識解決は得られず、唯凝りかたまりて迷ひを深くするのみにて成功する迄の時間は却て長くなり、為に多方面を傷けて果は挫折するに至らん。よくよく注意せざるべからず。世人は物事を考ふふる時は身心を一にしてすべてを平均なし、身心をを平均なしたらば、その全部をその事柄に対して打ちこまば必らずや成功成就は速ならん。世人は精神統一と云ふを誤解して、心のみをこりかたまらさせ肉体に重きをおかざるが故に其は統一にあらず。世人の統一とは心のみ一になすことを考へ居るが故に正しき統一は得られざるなり。精神統一とは身も心も共に一になすことを統一と云ふなり。いささか枝葉にわたりたる感あり。もとに復す。

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