覚者慈音1484   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1484
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.10.07
第三十二    自然性接続根について


 いささかの事を怒り悲しみ喜ぶ等は是外部に芽を出し居る故なり。故にその悪き芽は繁りて大切なる身心の発育を妨げ、はては完全なる結実を得ずして終る結果となり居るなり。然らば是を正しくはたらかすとは如何なる法を用ゆれば可ならんかと云ふに、即ち不用なる小さき芽をつみとりて是を発育せしめず、然してその力の養分を身心に送るにあらざれば正しき用法とは云はれざるなり。是を具体的に説明するならば外部にのびる力を、逆に内部に働かせ延ばす方法を用いざるべからず。圧力性を外部に働かさず内部に働かす時は、その圧力性は茎と根に働きて是を発育せしむる力あるによってなり。此理を肉体に或は精神的に応用する方法を工夫せざるべからず。植物になぞらへて説明なし居るを世人は理解なしたるならば、是を肉体精神に応用すべき方法は自づと工夫せらるるならん。例へば現今の如く日本の戦後の状態より推測して考へ見よ。
 戦時中には一つの小さき食物を与へられて感謝なし居りしに、今戦後となりてその感謝の心を忘れ、多くの食糧を受けて尚不平不満を称へ居るにてはあらざるか。是外部にのみ心を走らせて内部を空虚となし居る故に、斯る反抗心を抱くに至る。世人は政治家の悪き行ひを見ては、怒り羨み妬み等の心より、種々様々に憤慨なし居るは是反抗心の外部にのみ走り居るにて、己に対して何の益あらん。又己一人憤慨なせしとて何等なすべき法を知らざれば、唯自分の身心を過労に陥るるにすぎざるべし。悪人を見ては是をあはれむ心に変へよ。善人を見ては是を賞する心に換えて凡てを憎まず、凡てを愛する方向に向け居らば自らの心は直く清くなり行く道理は、世人も推して知る事を得るならん。空しき事に怒り悲しみて身心に苦痛を感んぜしめんより、是を哀憫して己が心を清くするにあらざれば内部への働きとはならざる理も亦推して知る事を得ん。
 近来の如く遊戯に於てすら勝敗を争ふ技を喜び楽しみになし居りては、人心は外部に反射力のみはたらきて内部は空虚となる故に、反抗心争闘心を強くするあまり争ひの断間なく、世の平和は永久に望まれざるべし。復讐心或は敵愾心を棄てて是を哀憫に変へよ。然らずば永久平和は望まれざるなり。現在の政治家は党為党略に囚はれて民衆を第三者に置くが如きも、是争闘心の現はれなるによって世は治まらざる事も推して知ることを得るならん。我、今斯く語り居るうち思ひ出したる例話あり。

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