覚者慈音1483   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1483
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.10.06
第三十二    自然性接続根について


 大凡人には反抗心なきものはあらざるなり。又この反抗心そなはりあるによって信仰も得られ或は迷ひも生ずるものにて、是は自然に神より下されし大切だがなるものなるに不拘、世人は余りに是を濫用するによって、信仰も得られず又直き心も得られざるなり。反抗心は是を仔細に観察するならば気力線ともなり、もし是を失へば勇気もくぢけ気力も減退するの他なからん。年老いて勇気の失せ行行くはこの接続根の衰退による故なり。故に老人は反抗心もきはめてうすし。世人はかかる大切なるものを持ちながら徒らに悪き方向にのみ用いて直き清き方向にむけざるが故に信仰は得られざるなり。又世人は是等を動物性本能にして反射力なりとのみ称して是を是正せんとはからず、中にも是を是正せしめんと考へて宗教者は精神統一とかの法を教へ居れど、是は唯一時的抑圧するにすぎずして、消滅するものにあらねば瞬時にして又もとに復す。そは神より授けられたる自然性なるによりて是を失はしむれば、忽ち肉体と精神とは接続をはなれて分離す。分離すれば死するの他なかるべし。かかる重大なるもののをかれあるに不拘、是を正しく清き方向に向はしめんと計らずして、他に種々様々の法を会得して是を是正せんとはかるによって、真の直き心清き心とはならざる道理を研究しみるべし。
 元来接続根の性質は圧力性に富みて外部へ外部へとのびる力を有し居るによって、恰もごむまりの如く弾ね返へる如き力を有す。よってものに接すれば忽ち押し返へす故に反抗心と称し居るなり。是は身心共に通じて保護する力をそなへ居る事に留意して考察すべし。然るに世人は是に対して用法をあやまり居る為、大切なる身心を育てんとせず、なすがままに放棄なし居る為、余分のものを作りて却て身心の発育を妨げ居るなり。

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