覚者慈音1478   はじめて未知日記を読まれる方への手引き 其二    衛藤慈声

未知日記(みちびき)について    其二
                    衛藤慈声 著述

                                       2019.10.04



 天与のそなはりとは


  人身に内在せしめられたる天与のそなはりとは如何と云ふに、先にも説きたる如く魂霊のそなはりである。地上には人の肉眼を以て見得ない多くの物質、又微細なるものが存在し、又肉耳にて聞き得ない波長の長短音波の高低の存することも周知の事実である。然し如何に人智進み何億分の一と云ふ電子顕微鏡を制作したとて肉眼で見えねば無意味である。然し魂霊の成長によって是等の不便不自由は自ら解消するのである。
 又そうなれば己の脳波を電化して身魂分離して脱魂も自由、従って人魂の滅不滅は自ら実証なし得られ、神の有無もはじめて自ら確認なし得ると貴尊方は説かれるのである。神ありと教へられて是を信ずると、自ら確認して信ずるとには、格段の相違あることは云ふ迄もあるまい。智慧の増加は魂の生育の程度にかかるのである。又魂の成長以外に人の救いの道はないのである。
 一例をあげれば、地球人より僅かに一階進んだ九流界に於てすら、肉体は改造されて老病なく、不具児精薄児も出産せず、軍備の要なく刑務所の要なく、学校の要なく通貨の要なくして社会の秩序は厳正に保たれ、天災地災も学問的に解決され、界人皆其々の使命を遂行に励むのみにて平和裡に其日々々は過ごしてゐられるのである。是動物性を脱して魂霊は育成され、智慧は増加の一途を辿り発明発見相ついで進化の生活であるからである。九流界にして斯くの如しである。まして其以上の流界に至ればあらゆる分野に於て科学的研究はきはめ尽して電気の如きその根原を明らかにして気光素電気(地球人の使用する電気は光気素電気と称して区別されて居る)を使用して 絶対に危険の伴はない安全な乗物を建造して界と界との交通はもとより智識物資の交換を行って居るのである。是各人にそなはる無限の可能性の源たる魂霊を強化して微々たる人智をさり、深大なる大智をくみとる各人の工夫と努力によることである。肉体本位の生活に終始する時社会の平和も個人の安楽も望まれないことは、地球の現状が一番よく語って居るとは考へられないであらふか。



 魂霊を育成する方法


 肉体を有する人は何等の努力なくして呼吸し、排泄を行ふ。食事を口にはこべばあとは消化器まかせ、時到れば子孫を残す。赤子にして飢えれば泣き、痛ければ是を訴ふ。皆是教へられず学ばずして行ひ得るのである。是等智慧は是を発揚させる原因が各人にそなはるが故である。識ると識らぬに不拘、自覚すると自覚せぬにかかはらず、そうした要因は各人に生れながらにしてそなはる魂霊の智慧の発現以外の何物でもない。然らば生れながらにして身にそなはる魂霊なるが故に、是を育成強化して智慧を増進する方法も亦、各人が食事する如く簡単容易であるべきであるとは考へられないであらふか。

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