覚者慈音1477   はじめて未知日記を読まれる方への手引き 其一    衛藤慈声



                         
 今まで何回か衛藤慈声さんの書かれた文章は当ブログでも幾回もとりあげてきた。でも大事な文章を失念しておりました故、おそまきながら慈声先生の書かれた「初心者の為の未知日記の紹介文」をここに掲載させていただきます。


未知日記(みちびき)について    其一
                         衛藤慈声 著述
                                  2019.10.04



 「未知日記」とは未だ地球人種には認識自覚せられざる人類の生前死後の生活についての智識を意味し、みちびきとは指導の意味である。此一連の講義集に「未知日記」と命名されたのは教主である。


未知日記の講師


「未知日記」には十二篇の論説が集録されて居る。講師は教主を始めとして、テツシン。セイキョウ。ミキョウの各貴尊方すべて地上現存の人物ではない。人の本体はその魂である。魂は不滅なるが故に現在不滅界に住し神の命を奉じて全宇宙の万物育成保護に任じて居られる人類の大先輩とも云ふべき方々である。然して此講師の中には曽て日本人としてこの国土に生を営まれた方々も交って居られるのであるが、中でもインショウ、ミキョウ貴尊の如きは昭和二十三年迄生存して居られたのである。
 尚、不滅界には姓名と云ふものなくセイキョウ、テツシン等是等は職名であって日本語の音にうつした発音である。たとえばテツシン貴尊は一流界の支配監督の任にあたり、セイキョウ貴尊は四流界の支配にあたると云った意味のものである。


 講義の概要


 大自然は全智全能の姿に迄成長完成さす目的を以て地上人類を出現せしめたのである。其故に無限の可能性を内在せしめられた人の本体は魂にして、其完成迄には或期間が必要となる。肉体はその個性魂が成長の過程に於て使用行動する器具にすぎないのである。機械にすぎないのである。故にもし人にしてその可能性を引きのばし育成強化することを怠り、肉体本位の生活をなすことは、永久動物性に止まることとなり、進化発展は望むべくもない。
 貴尊方は深く是を憐みうれひ給ひて、慈音を通じて「未知日記」一連の講義を与へられたのである。その指導を買って出られたのある。深い思し召しによつたものである。
 一個の果実さへ熟してこそ人の食物に供せられるのである。一本の大根又然り。人類に於ても亦役立つ人は重せられ、然らざるは顧みられないと同様である。成長して魂完全とならば上界に引き上げられ、未熟者は元級に止めおかれ、又はその下位に落されてその成長を待つために、自然動物性に長く止まることとなりて、苦患が続くと云ふこととなるのである。



動物性生活と魂の完成との区別



 全宇宙は広大無辺にして、全宇宙には太陽系宇宙の如き小宇宙は無数に散在して、中にも対立太陽系宇宙の如き夜のない宇宙さへ存在して其々の界には無数の人類が生存して居るのである。人類は地球人のみに限られた存在ではない。従って全宇宙に住む人類には地球人種の如く未だ動物性を脱して居ない人種から、一流界の人種の如く人間完成を遂げた最高至福の人種迄大別して十四の流界に区別され、一つの流界はまた三つ四つの進歩差が判別されて居るのである。
 動物性生活を続けて居る間は、魂智霊智の開発が遅れるたる或は未熟なるため大発明大発見は皆無に等しく従って動物性相対智のみはたらかす生活となる故に人と人との間に和がなく争ひは絶えないこととなる。心のはたらき(小智、又は相対智と云ふ)は皆人の知る如く常に動いて止まない。つまり迷ひが多い。朝考へたことも其夕には夢と消えることも多い。何故か、其は絶対智のはたらきではないからである。心の智慧とは肉体神経に感応する精神現象であって(喜怒哀楽の感情の如き)常に消えたりあらはれたりとりとめないものである。
 然し人の魂のはたらき、これを智慧と云ふ時、其は絶対智(中智)と云ふのである。この故に大発明大発見は可能となる。又人心は動乱を免がれ、視野は拡大して人と人との間の社会的対立小競り合ひは自然消滅して行く結果となる。思想的対立も是正されることは当然である。大発明大発見あって社会は進歩発達し、人々は帰一するところを発見して行くからである。徒らに小異をたてて争ふことの愚を痛感するに至るからである。
 更に進んで成長を遂げた人魂が霊智を加へるに至って是を大智と云ひ絶々対のはたらきとなるのである。かくなりてこそ人ははじめて人として一人前の取りあつかひをうけることとなるのである。肉体の機械が使用不能となり、破損して使用不能となる時、人は上階に引き上げられて又他の任務につく。これが事実であると貴尊は教示されて居る。

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