覚者慈音1477  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1477
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.10.05
第三十    通力について  其の二


 信力念力法力通力の四大力を統括して考察し見るべしとは云へ、世人には如何に考ふれば可ならんかとの思ひに迷ふのみならん。信力にも破壊分解融和組織の法則あり。念力法力通力悉くこの四法則あることは世人にも解することを得るならん。所謂一個の種子を下しその種子は破壊分解融和組織によって根を下し芽を出す如く、信力にも此順序ありて完備することに着目せば他は推して知ることを得ん。所謂信力は根に相当し、念力は茎に、法力は枝葉にして、花、通力は結実に相当す。故に種子は信力を現はす因果関係あらん。かく考ふる時信力にも因果の関係あり。念力法力通力悉く因果の道理あることも従って了解することを得るならん。此四大力を二分して信力念力を原因と見なさば法力通力は結果に相当す。是又世人にも解することを得ん。信力は念力を育て法力は通力を育つ。されば信力を破壊として考ふるならば、念力は分解に相当し、法力は融和、然して通力は組織と云ふ関係も亦知ることを得るならん。かく区分して其々に思ひをめぐらしてこの四つの力を統括して考察せば人生に対して最も大切なるものは此四つの力なるべし。
 大凡地上に生をうけて此事柄を明らめずば死後の悩み滅後の苦しみを如何にしてまぬがる事を得んやとは考へざるか。肉体の生存には限度あり。精神の行末は限度ありやなしやについて考へ見よ。死しては生れ、生れては死す。恰も月日のめぐるが如し。死に対して限度あらば、生に対しても限度ありと考ふれば、ここに生死をつなぐ一種の永久不変の何ものかが含まれ居ることに心づかざるか。形あるものは滅し、形なきものは滅するも明ならずとて、是を空しく等閑に附することは至難なるべく又迷ひなるべし。世人は魂も肉体と共に生き肉体と共に亡ぶと考ふるは、常人の智慧によつてなるべし。故に此理より観察する時は精神は肉体と共に亡び肉体と共に生ずとの結論とならん。果して然あるか。宗教者の云ふ如く命数つきなば魂は天国或は極楽に至り、肉体は地上の汚物となると考ふるか。現在の汝は再び肉体と共に汝となりて生れ来り居るか。此複雑なる事柄に対して世人は余りに重点をおかず、唯訳もなく光陰を空しくなし居るによって、まことの信仰は得られざるにてはあらざるか。ここに深く着眼して現在の我は未来の我となりて、再び三度地球の廻転と同様に流転なし居るかを考慮せば、従ってここに迷ひは生ずるならん。此迷ひを正しく悟り正しく認識し正しく理解なし居る人は幾何ありや。信力とは即ち真心(じきしん)にして所謂直き心すなほなる力を云ふなり。直き心清き心にかへりて、その根をたづねその根の如何をきはめたる人にして、はじめて真の信仰は得られ、その信仰の現はれは大なる力となりて汝を強くす。

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