覚者慈音1475  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1475
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.10.03
第三十    通力について  其の二


  凡ては我なり。然れば神は何処にありやとの疑問を起すならん。此理について簡単に説明すれば米を作るにあたり籾を地に下す。其籾は次第次第に成長して又米となる。所謂米より出でて米にかへる。されど米は米なり。所謂我は我なりの道理を是にあてはめて考ふればうなづかるるならん。然らば神とは造り主なりとの理を考ふれば神は何処にあるかも推して知ることを得ん。かく考へ来る時生るるも人なり。死するも人なり。造り主なる神にはあらざる事をよくよく認識して、人と云ふものに置れたる我を有がたしとは考へざるか。人是神にあらずの理はかくの如し。
 人に生れて有難しとか尊しとか思へよと教ゆるも、世人には未だ理解する事を得ざらん。何故人と生れしは尊きか有がたきか。人より劣りたるものの余りに多きを見ば神なる造り主によって育てられたる人類は、又更に分度によって変化せられ向上の道は開らかるるによって有難しとか又尊しとかを感ずる事を得るなり。人には大なる魂と云へるものを肉体に植えつけられある事に留意せよ。世人は狭隘なる肉体に大なる魂をとぢこめて是を発育せしめんとせずざるによって通力は得られざるなり。大空(くう)は広し。宇宙は広大なり。その大空と云ひ宇宙と名づくるものはすべて空(くう)なり。人の魂是又空なり。空なる魂なるが故に大空宇宙の広きにのばさば際涯(はてし)なく育ちて無限大となりて充満せん。然る時は宇宙又広からず。人の魂又小さからざるべし。斯くなることによって大小の区別なくんば既に通力は得られ居る事も推して知る事を得ん。通力とは空(くう)より空(くぅ)への広がりなるによって妨ぐるものあらねば通じ行くは理なるべし。世人はかかる偉大なる魂を持ちながら是を小さき肉体に押し込めてのばさんとはせず肉体の中を右往左往し居るのみなるによつて通力は得られざるなり。
 先にも語りし如く智慧は無限大なり。修すれば修したる程度に応じてのび育つ。是又空なるが故なり。かかる論旨をききても世人には解し難かるべし。所謂智慧うすき故なり。されば此うすき智慧も修すればはてしなくのび行く力そなはり居るものは、所謂汝に与へられたる魂の力あるによつてなり。宗教者は種々様々の経文を説きて世人を導き、哲学者は哲理によってものの真髄を測らんとなし、学者は学理を応用して宇宙の真髄をきはめんとなすも、是みな智慧の進化に他ならず。

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