覚者慈音1473  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1473
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.10.02
第三十    通力について  其の二


 世人己自らの智慧にて判別し難き事あらば何かその事に対して解決の道をたづね求めて尚も解し難き時は、是が理をきはめん事を願ふあまり無形のものをたづね求めて、其によって何かのしるしを得んと計るは是智慧尽きての方策なるべし。その及ばざるものを何かによってたづね、求めんとする結果考案せられたるは、即ち易学とか或は抽籤とかによって神に問ひ、然して神より答へを得んとなさんが為の方便に作られたるものなり。是等の事柄は万策つきての方法にて智慧勝れたる者のなすべき事にあらずと、現在は是を簡単に斥け居れど智慧なきものの安心の法としては無意味に見のがす事あたはざるべし。
 大凡世人の中には智慧すぐれたるもの少なくして智慧なきものは多し。迷ふと云ふも智慧うすき故なり。さればその智慧を求むる方法として種々様々の学問を広くすれど果して完全なる智慧は得られ居るか。昔は見聞を広くせよとて種々様々の学問をなしたれど、現今は基礎的学問をなしてその後は一つのものに専心努力なし居るにては あらざるか。是によって見るも万般に通じて凡てを明らむる事は神仏ならでは得がたかるべし。一笑に附して顧ざる易学に対して、もし通力のあるものならばその問は神によって答へらるるならん。一心不乱となりて神に祈る。是即ち神とは何か。神に祈るとは何か。即ち智慧を求むる方便にして智慧は神なりとの結論に達せん。されば信力念力法力の三徳そなはらば通力も従って得らるる道理もあらん。世人は凡てを浅く考へて深きところ高き処迄、ものの理を考へざるが故に凡ては通ぜず。是を通ぜしめんが為には信念より現はるる法力をこめてひたすら工夫せば、その工夫の力は必ず通達して汝の問は明快に与へらるるならん。明瞭にわき出づる新らしき智慧は宿り来る道理あらん。神通力とは何か。所謂神に通ずる力なるに不拘、世人は神通力と云へば神妙不可思議の現はれなりと思ひあやまりて、凡人には如何に修するも得がたきものと誤解なし居るにては あらざるか。凡人なるが故に智慧を求むるなり。聖者なれば既に結実を全うしたるものにて敢て行ずるの必要あらんや。

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