覚者慈音1471  未知日記 第九巻  因果論 厳戒の辞 人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1471
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.10.01
第二十九    通力について

           厳戒の辞の説明


 世人は今貴尊方より教へられたる様々の事柄を行はざるは信の薄きゆえなり、信の力厚ければ念は自ずと強くなり、信、念合体すれば法術は自ずと自覚するを得るなり。法術そなわり来たらば通力又徹す。世人は口にこそ一心不乱と云ふ言葉を称へ居れど一心不乱は容易の修行にてはなし得るものにあらず。一つの心を乱さぬ底の行そなはらばそれにて信仰は得られたる現はれなり。信の力そなはり来たらば念は次第に強く化せられ行くは道理なるべし。例へば汝等神をたのみて何事かを祈念する時、長き時間祈らばその間に種々様々の雑念が生じ来りて、その祈念の事柄を妨ぐるを我等よく知る。又我等も最初はかくありしなり。例へば世人は五分間正座すると仮定してそのわずかの分時の間に一つのこころになり居る人は稀なり。わずか五分の間にすら雑念のわき出でて一心を攪乱なすにてはあらざるか。一心乱れなば決して通ずるものにあらず。是を知るによつて貴尊方が教へたる八文字一五音の短き祈りの言葉を授け給ひしなり。八文字一五音の言葉はわずかに三二秒にすぎず。此短き間ならば誰もが一心不乱となることは至難にはあらざるなり。もし三二秒間に雑念起る底の人ならば更に是を節減して八秒にて行はばそれにても可なり。この八秒間の間に雑念生ずる人ならば更に短くして二.三秒にてもよし。是をなし居らぱ従って雑念は次第に滅消して遂には一時間二時間の長き時間なりとも、決して雑念の生じ来るものにあらず。故に時間の余裕の有無に不拘是を精々行守なし居らぱ、それにて汝の信力念力法力は強化せられて遂には自覚するに至らん。世人の智慧にて此理をよくよく考慮して工夫せんことをすすむるものなり。世人の正座の姿は精神統一とか称し居る方は、一つの心を動かして他の雑念を抑圧なし居るにすぎず。故にその一つの心は恰も乱れたる糸の如く力うすし。故に抑圧されたる雑念は反抗を強くして押し返し来るによりて、統一の法は熟達せざるなり。かかる事を生涯続け居りても決して成功するものにあらず。まことの精神統一とは精神を一つにはたらかせ、雑念を枯死せしむるにあらざれば成功するものにあらず。所謂精神統一とは即ち信念を強くして雑念に相当する邪念を払ふにあらざればまことの統一とは云はれざる故なり。世人は唯静座と云へば静かに座りて腹部に力を込め居らばそれにて可なりと思ふが故に体力は汗するのみにて精神には変化をあたへ居るざることに留意せざる故なり。是あやまりたる方法をなし居るによってかかるあやまちをなすにすぎず。是等はよくよく考慮して工夫し見るべし。座禅するものに公安を与ふるは是故なきにあらず。信仰の力を強からしめんがための方便によって、公安を与へ居ることもうなづき知ることを得ん。臍下丹田に力をこめて眼を閉じ歯をくいしばりて力み居るは、肉体運動にすぎずして精神にはわずかの変調を来たすにすぎず。是等の理をよくよく考慮してかかる苦しき行をなさんより簡単なる八文字一五音の祈りを信じて行ひ居らば、その広大無辺なる徳は現はれて汝の心は魂は悉く清浄せられて邪念は消滅することを深く強く信ずる力を備ふべし。是日々の行務の傍ら簡単に行ひて、然して大徳を得らる一石二鳥の銘法なることを我は立証して汝等に勧むるものなり。信ずべし。疑ふことなかれ。是我等の確言して憚らざるところなるによってなり。世人は是等を道理と思ひなば信は得らる。信の得られたる人ならば、必ずや実行に移すならん。実行に移さざるは信なきが故なり。

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