覚者慈音1404  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1404
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                                                  2019.9.09
 第六  気の音光の音


    因果の道理を明らめんせば先づはるかに逆上ってその依て来る原因より推測せざれば正しきさとりを得ることを得ざる道理あるなり。先づ是を知らんとならば宇宙の本然に立ちかへりて観察考究するの要あらん。例へば世人は悲しみを感じ怒りを覚え喜びを感ずるは何によってかを先づ考へ見るべし。世人の思いには何か原因ありて其は怒りとなり、又悲しみとなるとのみ考へ居るはこれ即ち中途結果に他ならず。今一歩深くほり下げて検討し見よ。世人の思ふ如くよしや原因に腹立ち怒ることのありて感ずると思ふならば、その腹立ち怒る心は何処よりわき出づるやを更に追究し見よ。然る時はいささかそこに一種の迷いを生ずるならん。世人の中には何事の原因もなきに或は怒り或は悲しむ等の感じの催し来ることを味いし事はあらざるか。唯訳もなく悲しみを覚え怒りを感ずる等は唯肉体の変化によるとのみ考へ居る人は多からん。されど是も仔細に奧深く追究すれば肉体に感じ来る喜怒哀楽は何に依て生ずるかに及びては最早察することを得ざるならんと我は思ふなり。原因もなきに怒り悲しみを覚ゆるを肉体の変調として尚その肉体の変調より生ずる怒り悲しみは何かその中に於て一種の作用なかるべからず。是を我に云はしむれば気の音・或は光の音に端を発すと見なして考へをめぐらさば明らかにその故を知ること至難にはあらざるべし。世人は感応論に於て気の音光の音に関しては既に認知なし居るならんもわれ今より語らんとなす処は相似て等しからざる底のものなることは是より講ずることによって自づと察するを得るならん。気に依て生ずる音、光によって現はるる音は世人も知るところ、此音が種々様々組み合はされて現はるるに至ってはじめて喜怒哀楽の音と化す。此理も察し居るならん。されど現はれざる音現はれざる声は何によって生ずるか。是等について深くきはめずば因縁因果の理を明らかに知ることは至難なり。されば先づ気の音光の音に関して説明なさんとす。但し感応論の説明と重複の避け難きこともあらん。是を諒としてきくべし。












 因果の道理を明らめんとせば

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