覚者慈音1403  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1403
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.09
 第五 悪逆非道の結果について


 師の仰せられたる教への意味を彼の若者の身の上にて説明すれば次の如し。世人の考へにては彼の若者の前代の人は悪逆非道にて多くの人をあやめ、其報が代々伝はりたりと思ふが故に原因は悪逆非道の人より人にありと思はば其は軽率なる判断なるが故に、従って正しき理解をなすことを得ざるなり。原因と結果との間には経路あり。所謂悪逆非道の人は何に原因してかかる行為をなすに至りたるかより、是を推測せざれば正しき判断はなし難し。即ち悪逆非道の人となる迄には何か原因なかるべからず。渓谷の一樹に見る如くはじめより悪逆非道にてはあらざるなり。渓谷の木ははじめ太陽の光を受けて正しく繁茂なし居たるに峯に生い茂る樹木のために太陽は蔽はれて蔭となりたる如く、彼の若者にも此理より察すれば他より悪しき友の来りて彼を悪逆非道に導きたる故なりとの理は推して知る事を得るならん。はじめより悪逆非道の行為をなすものにあらず。人の性は善なりとの理より推測すれば自づと察することを得ん。他より来れる悪友に虐げられて己も暗き人となり遂には罪を作るに至り、その報が己より出でて己にかへる結果となりてはてたり。されど彼の魂は滅せず。幾代か後に生れたる彼の若者は日光の明るきに向いて棲息し来りてわづかに葉を繁らすに至りたり。所謂彼の若者は出家なさんと迄覚悟なしたるは是悪を厭ひ善行につかんと計りたるによる。故に師は彼にむかいて里に下りて安らかに世を送れ。出家なすとも汝は世を救ふ力なしと仰せられたるは日向にむかへる一本の枝に等しくして力なきことを知りて申されし教へなりしことも世人は知ることを得るならん。されば此新らしき枝が枯死する迄は 未だ因果の末期とはならざるなり。根枯れずんば枝は繁る。根の枯死せざる以上此木にありては未だ因果の中に有する経路が連続なし居ることも従って察するを得るならん。因果の法則にはかくも複雑なる関係あるが故に従って経路の変化に対して世人は結果なりと早合点なすが故に正しき道理を認識することを得ざるなり。此経路の変化を中途結果と見なして観察すれば因果の道理私なきことも従って察することを得ん。

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