覚者慈音1402  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1402
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.08


 第五 悪逆非道の結果について


 我、是より語るところは師より聞かされたる説教の大略なれば是我言葉にあらず。是を諒として聞くべし。是によって世人は因果の道理を悟る資料として聞かば可ならん。
 大凡神が悪逆非道のものを世に現はして是を是正せしめんとなさざるは如何なる理由あるかに逆上ってきはめずば真をきはむる事難し。世人は根底より根底へ立ちかへりてものの理をきはめず、中途よりの考へを起して物の理をきはめんと計るによって正しきさとりを得ること難し。師は是を我等に深く教へられたるなり。師曰く、「大凡神の造り給ひしもの始めより悪を以て為し給ふ道理あらんや。されど神は始めその何ものかを世に種子を下すに当って善悪の区を以てしたるにあらず。善悪を超越したる種子を以て下し、その種子の発芽状態を見きはめて其結果の如何あらんを先づ知らしむるにあらざれば世を構成することはなさざるならん。されば始めに下されたる種子は即ち善にもあらず又悪にもあらざることは当然なるべし。神は世にすべての種子を下すに当って不必要のものを以てすることを好み給はざるは異論の余地なかるべし」
 汝、円海よ。能く聴け!
 「汝ははじめ剣を以て世を渡るものに生れ、今は剣をすてて心を以て世を渡らんとなし居るにてはあらざるか。剣は身を守る防禦の器具にして人を切る剣にてはあらざることは汝是を知りてのち然してその剣を捨てて更に心を以て身を守る防禦の具となし、又その心を以て世を治めんとなす器具とも考へ居るにてはあらざるか。所謂剣は身を修むるにすぎずして心を修むるには適せざることはさとりし故ならん。剣にては世を治むること難く即ち心ならでは世を治むるは難きを知りて我門に参じたる汝なれば因果の道理も亦察し居るならん。然りとせば肉体に関する因果と、心に関する因果の理は自ら察知し居るならん。肉体の因果は滅すれば終る。心の因果は滅せざるが故に因より果に至る迄の経路は長し。彼の渓谷の一樹を見よ。かの樹は日蔭に伸したる枝は悉く枯死し、わづかに残る新らしき枝は日輪に向いてのび今尚葉をわづかながら繁らせ居ることはあらざるか。此木は始めより日蔭に育ちたるにあらず。峯の雑木繁茂して日蔭となりたるなり。日蔭となりて繁りたる枝はその下に育ちある小さき草木を枯死せしめたるが故に。その枯死したるものより放散する害毒のために却て我身を傷けて今は其枝悉くが枯死する運命となりたり。然し幹は未だ枯死せざるが故に新らしき枝を日輪に向いて生じ、更に日輪の方向に腕を伸して今尚わづかに余命を保ち居るにてはあらざるか。是を見ば汝が伴ひ来りし若者の因果因縁の理は察することを得ん。是にて汝は我、彼に説きたる理を知るならん」と師はあとを語らず。されど初心者の世人には解することあたはざらと思へばここにその理を語るべし。

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