覚者慈音1398  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1398
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 

         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.07
 第ニ   因果と因縁の関係


 国土を建設して人類の幸福を計らんがためには種々様々の法則に従いて、是に一定の分限を定めて其によって世を安らかになさんとの慈悲より、人類にはかくも分野を定めて現出せしめたるなれば、その分野を固守してこれを完全に設立組織せしむる人は尊し。然らざるものは低きに置るるは自然の法則なり。是を因縁と思はば因縁として考ふるも差支なく又因縁にあらず。我に架せられたる使命なれば是は因縁にあらずして神の命なりと思いてよく守りよく事実に行い実行にうつす人は幸福なるべし。因縁と考へて徒らに世を呪ひ怨むが故に己の使命を全うすることを厭ふ人は是不幸なりと考へざるべからず。雑草にも雑草の使命あり。香木にも香木の使命を有す。是に尊卑の区分を与ふるは人類の足らざる智慧に他ならず。もし神ありとせば神の眼には尊卑の区別はあらざるならん。
 大凡神の造りたるものにはみな悉く定められたる分野あるによってその任務に従へるものを神は愛すと我等は信ずるものなり。世人の考ふる尊卑は尊卑にあらず。因縁と思ふも亦因縁にあらず。斯くも誤りたる考へを起すは迷ひより生ずる結果なれば、是を原因に逆上って考ふればかかる迷ひは生ぜざるべし。要するに原因により結果は定まる。されどその原因と結果の間に於て生ずる経路に於て間違いを醸すによって結果に至つて正不正の現はれと化するなり。農夫は農夫としての己の使命を 他に任せず、進んでその道に順じ居らば好結果をもたらす。然るに他を妬み他を羨むによりて其に眩惑されて使命を果さず、他に転向なさば農夫としての使命は全きを得ず、又転向したる事柄も己の使命にあらねば勿論好結果は得られざるは、是因果の法則にしてそのあやまちは即ち経路にあるなり。神の眼より見る時原因によって結果に至る迄の経路を正しく認識して是に順じて使命を全うなしたるを尊しとなし、是に反するを低しと思ひ給ふと我等は信ずるなり。己が使命を守らずして他の分野を犯すものはたといその業成功したりともそは決して尊きものにあらず。又その成功は何時かは破滅なして又も次の妬み怨みを誘発するはこれ因果の道をあやまれるに依てなり。たとえば「瓜のつるになすびはならず」と云ふ諺の如く、もし科学の力によって是をならしめたりとするも真のなすびと同一の味を有するものは稔らざるべし。然してその後再三再四是を行い居らば全く別個のものと化せらるるに至らん。然りとせば瓜のつるは全く原因と結果の相違となりて己がもつ使命を果さずして終りとなるなり。瓜のつるになすびをならせたるは 聊か天理を応用して其によつて他の原因を生ぜしめんと計りたるに他ならず。故に始めの瓜は実を結ばずして消滅したることとなる。所謂己の分野を捨てて他に生れかはりたるなれば瓜よりなすびに生れかはりたるものにて其等の事柄を因縁と云ふなり。世人の考ふる因縁と我等が説く因縁とはここに聊かの相違を有す。瓜はなすびに、なすびは他のものに変化なし行くも一つの経路にして、謂はば原因の変化が他のものに移動し行くを先づ因縁と見なして考ふれば知らるる如く、他の国人と交はりを結ぶも是即ち因縁と見なして可ならん。されど世人の考ふる如き余儀なきことを諦らめんがために根源に逆上らずして其を因縁として放棄する如きは即ち方便の因縁にして言葉のあやにすぎざるなれば、先づものの理を明らめて仔細に検討工夫なし居らばその因縁として方便の明らめをなさずとも、正しきさとりより明らめを得ること至難にあらねば、ものの根底より経路へと考へをめぐらして工夫なさば正しき明らめは得らるる道理あらんと思ふなり。

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