覚者慈音1396  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1396
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
   
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.06
 第一   遺伝性因果について


 肉体的因果と精神的因果には又相似て異なる点他々あり。さりながら世人の知り度しと思ふことは大概身心の部に属す。身心とは肉体心意のことを指すにて魂魄霊の方面には世人は無関心なるべし。依て先づ是等を先に語りて迷ひを解かん。世人は親に似ぬ子は鬼子など称し居れどその親に似ざる原因は那辺にありやをたしかむるものすくなし。例へば父母の間に五子ありとせんか、その五子悉くが同一の精神を持ち居るものもなく肉体に於ても又同じからざるべし。是を深く原因に逆上て考へをめぐらし見ば五子の身心共に同一ならざることを知り得る道理あるべし。父母の肉体は年々身心共に同じからざるが故に五子は同じからざるなり。
 例へば一時に五子を儲けたりとせんか、その五子の顔かたちは全く同様の如く見ゆれど仔細に観察すれば皆異なり居るならん。此理も同様にて父母の交はりたるその瞬間にさへ肉体の変化と心の変化がありて同じからざる結果、一時に生れたる五子にも亦身心共に同じからざる現はれを生じ居るなり。
 例へば草木ついて実験せば明らかなる如く同じ一本のものよりとりたる数個の種子を地上に下すとも同じ花同じ稔りは得られざるべし。のみならず一本の樹木に稔りたるものに於てさへ種々様々異りたるものあるにてはあらざるか。是等の理を世人は如何に考ふるか。父母より生れし五人の子が身心の相違ある理は是等より推察する時、何かそこに一種の真を発見することを工夫せざるべからず。是を学者に云はしむれば五体の表面より見る時何等変りたるところなきが如く見ゆれど、細胞組織が同じからざる結果心に於てもその影響をうけて異なるなりと説き居るを聞く。同じ父母の胤子が交はる毎に変化する故に組織の点に於て相違あるは当然なる如く考へらるれど今一歩是を仔細に深く考察する時、そこに自然の法則が如何に複雑なるかに思い至らざるべからず。かく考へ来る時、ここに因果の微妙なるはたらきが存するかについて仔細に、其より其へと考察の道をきはめざれば因果の正しき道理を明らむることは難かるべし。父母交はる時常に同じ心にて子を儲くるとも決して同じ心の子は生るるものにあらず。是を宗教者は因縁として説き明し居れど我に云はしむれば然とは思はざるなり。 

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