覚者慈音1395  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1395
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.05


 第一   遺伝性因果について


 世人の世界には肉体的遺伝性因果の関係きはめて多し。されど精神的遺伝の道理あることを余りに重要視なす人はすくなし。我今より語らんとするところは肉体的遺伝より先に語らん。世人の世界には肉体遺伝のあやまち多き為、その結果に於て多くの不具者を生じ居るは既に知るところならん。遺伝性痴呆症の人は唯是を重婚の結果と見なし、又色盲なども同様の関係の如く考へ居れどその根底は何に基因するかをきはめ居る学者はすくなし。是を我等に云はしむれば即ち邪淫の結果として説明せんとす。神の法則に邪淫を戒め給ひしは即ち是なり。邪淫なるが故に斯る不具なる結実を結ばせたるに他ならず。是を後世に於て根絶せんと計るならば即ち邪淫を慎むに あらざれば永久不具者は断えざるべし。邪淫せずば決してかかる不具者は生ずるものにあらずと断言して憚らざるなり。所謂神の造り給ひしは清浄無垢なるに不拘、邪淫によつて情欲を恣になすが故にかかる不具者は断えざるなり。慎むべきは色情にこそ。
 要するに精神薄弱者或は或は身体不具者はすべて邪淫の結果なりと悟りなば慎むべきは邪淫なりとの理を深く考ふる要はあらざるか。因果の法則より観察する時その結果迄に於て或は早熟するものと又稔りの晩きものとの二種あり。例へば色盲などによってついて見る時、親の色盲が孫に至つて現はる等は是即ち晩き稔りにして又他の場合に親より子に直ちに現はる、早熟の病もあるなり。
 先づ色盲について語らば親の病が子の代に成長し其が孫に至って実を結ぶが故にその経路は長しと考ふれば他の事柄に至っては察することを得るならん。即ち帰因より経路、経路より実を結ぶと考ふれば因果の間には経路の長短あることを知ることを得るならん。経路の長きものに最も悪質なる癩病あり。是は五代六代の長きに迄及ぶなり。然るに現代の医学にては唯感染すれど遺伝はなさずと説き居るは誤ちなり。是は感染もなし或は遺伝も伴ふ。人より人に感染したる時、その感染をうけたる人はたとえその身自ら発病せずとも其子孫に至って結果を現はす如き関係あるによって最もいまはしき病なり。原因と結果との間にかくも種々様々異なりたる経路あるによって、人間界の因果の法則を一言に説明することは難けれど、帰するところは原因経路結果の法則に他ならず。世人が考ふる如き因果応報の考へと我等が語らんとする因果とにはいささか相違あるによって、是より順次項目をわけて詳細に因果の道理を明らかに示めして世人の迷ひを解かんと思ふなり。

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