覚者慈音5   僕の叔父さん


僕の叔父さんについて


 叔父が住職を勤めている寺の名前は明鏡寺、当地では珍しい臨済系の寺である。檀家数はおよそ40軒ばかりの小世帯。聞くところに依れば、寺の維持管理にも結構に金がかかるみたいだ。建物は町から少し離れたところに立地している。それは明治後期のもので、大分風雨にさらされて傷みもひどくなっている。今後建て直すこともなく、叔父が死ねば自然と寺は閉じられる運命にある。県の重要文化財に指定になるような立派なものではなく、たんに茅舎と云っていいくらいの古色蒼然たる構築物である。



門を入ると鐘楼があり、その横に富裕柿が一本植えられている。秋には大きな実を結び僕が子供の時には、よくそれを拝借したものだ。庭には小さな枯れ山水と灯籠が二基あって、それを囲繞するように百年を越す松と紅葉、それに白寿をとうに過ぎた梅の古木があるのみ。寺に詣でる人も一日に一人、或いは二人あるやなしの閑散静謐を極めた寺である。
彼は東洋大学の哲文科を出て、町の高校に奉職し、50歳前まで高校で古文と日本史の教師をしていたが、なにを思ったのか定年まで勤めあげずに自主退職。爾来、小さな畑を片手間に晴耕雨読の生活をしている。この叔父は妻に死に別れて、一人暮らしの生活も今年で8年目を迎える。子供は残念ながらいない。寒修行の際には素足に草鞋を履き、足指を真っ赤にして、早朝の雪道を読経しながら歩いて行く。人が起きていようと、寝ていようがそれに一切かまわず各家の門前で経を唱え、足早に立ち去って行く。僕は子供の時から彼のそんな姿をずっと見てきた。途中、我が家に入り、店先の練炭火鉢でしばし暖を取り、熱い茶を喫していったものだ。


 彼の愛妻は僕から云うのも少し気が引けるが、かなりの美形であられた。其ればかりでなく、心根もこれほど優しい人がいるのかと思うほど、幼少の僕に慈母の如く接してくれたことを峻烈に覚えている。
その彼女は8年前に乳癌を患い、アットいう間に急逝を遂げた。僕にはまるで本当の姉の如く懐かしい人だった。死に顔はとても奇麗で穏やかで、檀家の人達も彼女のことをまるで慈母観音の如くであった、といまも彼女を懐かしんで語り継いでくれている。享年は52歳の秋であった。名前はあきこ。信仰心の篤い人だった。彼女の出た短大はカトリック系の学校で、結婚してからもずっとイエスに対しての信仰を持っていたみたいだ。信仰に関して、叔父は少なからず彼女の影響を受けていたようだ。
彼の書棚には飯の種である仏書は勿論のこと、キリスト関連の書籍も驚くほど広く揃えている。そして彼の読書時間の大きさには心から頭が下がるほどだ。歳をとってもその意欲はいまも少しも衰えを見せない。一日端然と書机に座り、およそ五時間くらいの時間をさいている。読書は彼の生活の一部、まるで日課のようだ。そして日々の徒然をもこつこつと執筆している。
僕は時たま家内の作る手料理と酒をもってこの叔父を訪ね、彼のいま取り組んでいるテーマについて教えを請うことがある。僕にとつては身近なところにいる最高の人生の師でもある。
又この住職は少しも坊主らしくなく、どちらかと言えば、古武士のイメージがあって、世の中の毀誉褒貶のことなどは全くの無関心。借金もない替わりに財もなく、金銭には無欲恬淡としたところがあって、本来あるべき修行僧の道を粛々と歩んできた。僕はそんな叔父を心から敬愛している。
実は僕の高校時代の日本史の担当教師が彼だった。その時、彼は齢二十八歳の精鋭の教師だった。彼は教室に入って来るなり、いきなり教室の皆に「まず君たちが持っている教科書を閉じよと命じた。僕は君たちが欲しているような受験勉強の為の講義などを一切しない。唯、歴史というものの面白さと不可知さをこの一年の間、君たちに伝えられればそれを本望としている。一年後に、歴史の学問が本当に難しいということが解ればそれで充分なのだ。僕はそんな授業を展開したいと思う。君たちが大学に進み、やがて社会人となった時に、僕の授業がきっと生きてくることもあるだろう。と、いきなりそんな風な奇説を述べる風変わりな教師だった。 マアー、当時知識の切り売りを当たり前とし、受験競争の一翼を担っていた、他の先生方はもとより、校長からも白眼視されたことはいうまでもない。しかし、既成の枠にはまったつまらぬ教師よりも、僕は叔父の型にはまらぬ日本史概説を傾聴した。僕は四十年経った今を振り返って、叔父の歴史観にかなり影響されている自分を知る。


ある日の叔父との会話の一部始終。
「叔父さんが今まで人の死を看取ったなかで、一番印象深い人はどんな人だった ?」
と聞けば、
「 そうだな、この生死の問題は一朝一夕に説明するのはなかなか難しい点がある。
 仏書の全部が殆どこの生死問題に重点を置きながら、是を実際に学ぶ者すらあきらめは難しいものだ。そして本心から大悟するのはもっと難しいだろうな。その最も範をたれなければならない、この俺でさえも、いざお迎えの段に周章狼狽せぬことを、唯々祈るばかりだ。そのことで、お前に聞かせておきたいことがある。それは私のお師匠さんから聞いた話なのだが、と目を細めて昔を回顧しながらぽっぽっと語り始めた。
 ある人が臨終に際して、妻や子供を枕辺に集めて自分の首からお守り袋を外した。
 そしてこのお守りは私が長年肌身離さず身につけていたものだ。お前達この中をよくあらためよ、そしてお前達も是と同様のものをつくって、生涯肌身離さず身につけておけと云いながら、その人は微笑みて死んでいったそうな。
 あとからそのお守り袋を開いてみると、中に一枚の紙にしるされた文章が出てきた。
 「我、何日何時お召しにあづかり候とも直ちに参上の用意整い有是候」と認めてあったそうだ。なあ、お前これだけの覚悟ある人でさえも生死の半ばを明らめた人なんだよ。
 せめてお前もこの覚悟を学んでおいた方がいい。例えば、よそから他行を頼まれた時、今は都合が悪いと謝罪すればすむことだが、こと命数の場合は今は都合悪いと謝罪しても許されんからな。このことを考えたら、お前も日常の仕事は速やかに整理して、何時死んでも悔やむことのないようにしておかなければいけないよ。つまり、臨終を遠くに考えず、毎日毎日が臨終なのだ との観念を強くすることが肝要なのだ。 とにかく、今日は臨終なるが故に、役目をはたしをかんとの思いにて業務に励むことだ。
故にこの考えにのっとって修行すれば、生死の明らめは必ず得られるはずだ。叔父は長年の間、書き留めてきたものをどこにも発表せず、それを大きな木箱にしまい込んできた。叔父が死ねば、僕がその遺稿を整理して一冊の本に仕立て上げて公表するつもりがある。さて、どんなものが出てくるかとても興味がある。


            
             未知日記講義  貴尊講義
 


 仇する者を愛する本心を有するに到らば、ここに人間界人界を度脱してはじめてさとりの境涯に達したる人となる。この位置に到達してはじめて天界のすべてを明らかにきはむる事を得るなり。是天界に到る順路と云ふなり。
信仰とはかくの如きものにて神に願ひて肉体の病を治癒するとか、或は財宝をめぐまるると云ふ如きあさはかなる信心ならば、種々様々の宗教に惑はされて空しき行をなさんより働きて、金を儲け病らはば医薬によって平癒の道は開らかれ居るにてはあらざるか。是即ち神の恵み給ひし恩恵なるにも不拘、遊びて福徳を得、然して健全なる肉体を祈りて求むる如き愚かなる考へを以て、神を信ずる如きは愚も亦甚だし。斯かる宗教者のあるが為に世は向上発達せず、却って陰謀を企む悪魔の俘虜となるは、かかる迷信の結果より生ずる現はれにて真に憂慮に堪えざるなり。
我、かく語らば世人は思ふならん。「信仰とは即ち愛の心、慈悲の心に化せしめなば其れにて全きとならば、余りに単純なるものにてはあらざるか。かかることにては世は進歩発達はなしがたからん。」にとの、考へを持つ人もすくなからずあらん。所謂宗教者が神は愛なり。神は慈悲なりなど一言に説き聞かせ居るが故に、かくも範囲をせまくして信仰の道を進み居るが故に、正しき信仰は得られざるなり。神は慈悲なり。神は愛なるが故にすべてを引き上げんと謀り給ふなり。引き上ぐるとは唯その人の魂を天界に導く底の如きを云ふにあらず。世の中のすべてを向上発達せしむることを引き上ぐると云ふなり。学者は学徳によつて向上し、智者は智慧によって世を救ふ道を計りて、すべてを向上せしむるが故に、万物はその徳を受けて進化することを得るなり。是世を安らかならしめんがための道を授け給ひあることに考へを廻らさば、信仰と云ふものの如何なるかは察するを得るならん。慈悲と云ふ意味も従って認識することを得るならん。然るに世人はその一大事を知らず、唯己の心を愛と慈悲とに化せしむれば、其れにて修養修行の道は完全に開らかるると認識せば、従って信仰の道を軽んじ却って迷道に陥る結果となることに留意せざるべからず。世の中の事柄は余りに複雑多端にして、彼是と論議するが故に迷ひは深刻となりて、何れを是とし何れを非とするやにすら思ひ惑ふならん。故に先づ慈悲の心愛の心に化せしめて、然してすべてのことに当らばその悉くが明白に是非の区を明らむることを得るによって、信仰するものは先づ慈悲の心、愛の心に化せしめよとすすむる他なきなり。愛する心はものを傷けず、慈悲の心は凡てを生存せしむる力あるによってなり。

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