覚者慈音1279 未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の三 上界の巻 セイキョウ貴尊講義



覚者慈音1279
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 134
気光素電気の応用
                 セイキョウ貴尊 講述
                    2019.8.08


 もとより肉体のそなはりあれば、その肉体の限度は科学的にて測定し、滅する時期を定むることを得れど、そは肉体に関して科学的より考察したるものにて、何等とるに足らざる事にてかかることは、九流界にては問題とはなし居らざるなり。恰も籾より米に稔らすには種類によって、その時間を明らむることを得ると同様と知らば、別段不審することもなかるべし。されどその米は後に誰に喰はるるかと聞かれなば、科学的にてその米は誰によって作られ誰の口に入ると云ふことは、科学の力にて知ること難からん。空なることには斯くも微妙なる関係あり。我の作りし米は、他に喰はるると云ふことの事実は察せらるれど、其以上の事は判明せざるべし。
 例へばその米は斯くして運ばれ、斯くして誰彼の手に渡り、其等が又転じて次の人に移され、然してその次の人が是を喰ふと云ふ如きは事実にも不拘、其を作り主が知るよしもなからん。又是等を学理的にてくはしく説明する学理はあらざるべし。されど事実は行はれあるなり。恰も其と同様にて、九流界には学理的にて説明なし得らるる限りは究め尽しあれど、其以上の事を究めんが為に、益々智慧を磨き居るなり。ここに一つの例をあげて語る事とせん。此話は九流界下部の伝説なる処、或学者人体の生力を時間にて測定せんと計り、なし得らるる限りの方法を考案して、其によって、あの時間の幾何かを研究なし居たりしが、或時或所に一万年余も生き居る人ありと聞きて彼がもとを訪れたり。然るにその人の姿を見るに白髪白髭を貯へて、矍鑠として現はれたり。然して彼曰く、我生きんとならば万年はおろか億年も生きんと語りたり。学者心に思ふやぅ、学理より此人の姿を計算する時万年生きたりとは考へ難し。何となれば皮膚と眼光の調和より測定する時、白髪白髭は余りに力を失ひ居るが故に調和を欠く。骨格の程度より計るも亦ここに疑はしき点ありと思ひたれば、彼に向ひて己が研究より測定すれば、汝は未だ百歳の人なるべし。万年生きたりとは信じ難しと彼に迫りたり。彼曰く然らば汝の学問にては、如何なる程度に肉体を作りなば、信ずる事を得るや。学者曰く、我は未だその研究は半ばにて完成なし居らねば、明らかなる答へはなすことを得ず。学理より考ふれば万年の肉体は保ち難き事を知るによってなりと答へしに、彼は忽ち姿を変じて小児の形に変じて是にては如何にと示めしたり。その時何処より来りしか、一人の天使現はれて鞭を以て彼を打つ。彼悲鳴をあげて死したりと云ふ伝説あるなり。その時天使は学者に向ひて曰く。この者はいたづらものにて世を欺き人を傷くる悪魔なり。かかるものに耳をかして己が研究の妨げとなることをなす勿れと戒めたりと云ふ。是は伝説にて取るに足らぬ話なれど、世人の研究すべき修行に対しての参考として語りをくなり。

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