覚者慈音1272  未知日記 第十巻   帰途案内記  巻の三   NO 128  上界の巻 セイキョウ貴尊講述

覚者慈音1272
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 128
          
                 セイキョウ貴尊 講述
                    2019.8.07


 然るに九流界の下部にありてすら既に是等の解決は得られて、かかるものに拘泥なし居る人種は一としてあらざるなり。されば先づ是等に関して世人に知らしめをかざれば、此四大則に囚はれがちなる世人には、何の為に世に存在なし居るかすら考ふる人は、稀なるべしと我等は思ふが故に、其等に関して概略だけを語りをきて、更に後の事柄に移るべし。世人の中には生命よりも尚大切なるものは、金銭財宝の如く思ひ居る人すくなからず。さればこそ金銭財宝なければ、首なきも同様なりなど語り居る愚者も多し。是をもとめんが為に他を傷け或は盗みかたりをなして、獄舎の苦を受くるもの少なからず。かかることにて修養修行の何なるかを、語り聞かすとも耳を傾けざるは、是又歎はしき事にてはあらざるか。恋愛(こひ)の奴となりて情死を企て、或は相手を殺傷するなど、是等も数限りなくあるならん。
 世人の安楽と云ふは、美はしき衣服を纏ひ、高壮なる家に住居い、多くの財宝をもて心のままに贅沢三昧をなし、女色男色に溺れて其日を送る事によってのみ、満足することを得ると考へ居る人多からん。果して其にて人生の悩みはぬぐはるるものにあらずとは考へざるや。全人類かかる事によって、平和の世界を作り得ることを正しと思ふや。我も彼も皆共に贅沢三昧に日々をすぐす事を得るならば、其にて世は長く保たるると思ふならば、人間の一生は我等に云はしむればまことに無味乾燥なるものにて、真の安楽境を味はひたることなき人の考へにて、安らけき世界は到底現出するものにあらずとは考へざるか。たとひ肉体の悩みは贅沢三昧にてよりてなり得るとして考へ見よ。肉体安ければ心も魂も共に安しと考ふれば、其は大なる誤解なるべし。世人の世界に於て、もし通貨の必要なき時代来らば、巨万の財を貯ふとも石瓦と同様のものとなる事に、思ひを廻らして考究し見よ。人間同志の約束なるが故に、或時期に到らば通貨は無用となる事もあらん。人間の心は動じ易し。昨日の約束は善行と考へて結びたるに、今日に至っては其は悪行なるが故に約束をほどきて、他に方法を構ぜんとするは人心のならはしなるべし。斯る動じ易き人心にて世を渡り居らば、前途暗黒の世界をさまよひ歩く盲人の姿と、何等異なる処なからん。前途に明らかなる光明の世界を見きはめて、その光明に浴するにあらざれば、正しき安楽の世界は現出するものにあらざる事を、深く考ふるの要はあるならん。

×

非ログインユーザーとして返信する