覚者慈音1271  未知日記 第十巻   帰途案内記  巻の三   NO 127  上界の巻 セイキョウ貴尊講述

覚者慈音1271
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 127
          
                 セイキョウ貴尊 講述
                    2019.8.07


 世人の世界は(地球)は種々様々のそなはりありて交通の便或は他のものに対してそなはりあれど、そのそなはりの悉くが果して完全無欠とは云はれざるべし。陸には車馬のそなはりあれど是等によって安全なる交通すらなすことを得ざるならん。世界中(地球)に交通事故によつて人命を傷け居ることのあまりに多きを見るも是、不完全なるが故なり。又火災震災水害等々によつて年々人命を損傷し居ることの多きも、是完全ならざるが故なり。然るに九流界の下部にをかれある処と雖も、今日にては斯ることに対して、斯くも歎はしき事は一としてあらざるなり。すべてのそなへは完備して天災に対しても決して人命その他を損傷するものにあらず。交通事故などはもとより水難空難等々事故など、一としてあらざる完全無欠の姿となり居るなり。故に人間は安住して斯る事によつて傷けらるる憂ひなく、唯天の命を命としてはたらきいそしみ居るなり。是等に関しては順次説明なして世人の世界との相違を語るべし。
 其界の状態は先づ世人の世界と殆ど変りなく、山あり川あり海もあるが故に、気候の変化も又大差なき事を諒としをくべし。即ちこの界も昼夜の区別あるなり。然して雨も降り風も吹く。火山もあれば地震も従ってあるなり。海あるが故に海嘯(かいしょう)も起ることは云ふ迄もなし。この世界に於て何等の不安もなく生活するとせば、汝等の世界にも智識進まば此の所と同様の界に迄進むることも亦、至難にはあらざるべしとの考へより、我等は紹介せんとなすものなり。望ましきは智慧を磨くにあるなり。
 現在世人の日常を観望する時そのすべては衣食住と恋愛の四大に囚はれて、他に何等なす処を知らず過し居るにてはあらざるかと思ふなり。世人にして此四つのものすべて満足することを得ば、その後は何をもとむるやを考慮なし居る人は、稀なることを我等はよく知る。平和を口にしながら戦争の断間なく、親睦を語り居ながら喧嘩口論の断間なきも、是此四大の現はれに他ならずと云ふも差支なからん。

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