覚者慈音1208 未知日記 第十巻 帰途案内記 転界の巻 NO 64  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1208
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 64
                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.26


 此説を聞きて世人は実に尤もと共鳴するや。今慈音は然あるかも知れじと言葉を洩したり。さりながら慈音の然あるならんと洩らしたる言葉には表面にて、内心には尚も不安の思ひを貯へての言葉なり。慈音の口に出せし言葉には大なる意味を有す。世人の考へと異なる意味の言葉なることは我よく是を知る。本心より発したる言葉なりせば我是を咎むべし。されど然にはあらざるが故に唯笑ひて是を咎めざるなり。
 其は兎に角世人の中に此説を信ずる者は信ずるも可なり。実を伴はざる空論には疑ふも信ずるも、そは世人の意志に任する他なきを知るによってなり。其は兎に角理論は理論として話をすすむべし。肉体を棄つれば事実は忽ち伴ふ。ここに至って如何に悔むとも甲斐なし。故に先輩者の語るを信じて肉体の有する間より信じ居らば、肉体放棄しての後は安かるべし。よし肉体滅後魂の飛散するは事実なりとも、或は我等の説が事実なりとも何れにても、我等の説を信じをくに勝ることあらんやと思ふが如何 ?
 世人は日々食料を得んとて種々様々のものを栽培なし居る点より考へ見よ。米を耕作る人は多くの収穫を得んが為に種々様々苦心なし居るにてはあらざるか。一年のうち二回三回の収穫を得んとて早稲米を作るもあり。又美味なるものを得んとして晩稲米を作るもあらん。是等の点より人身にとりて考へ見よ。
 多くの収穫を得んとて早く稔らする米を作ると、遅くるとも美味なるを得んとて作るとの思ひは、是耕作主の意志にあるなり。早く稔りて早く喰はるれば其米は短命の米なり。おそく稔る米は生命長し。されど長き生命の米は美味なりとして賞美せられ居れど、早く稔りて短命なる米は、米としてのはたらきは果したるにてはあらざるか。是を汝等の肉体にとりて考慮し見よ。汝等の肉体をつくり育てたる耕作主の心を、汝等知る事を得るか。米は作り主の意志を知らざる如く、汝等も亦造り主の心は知らざるべし。汝等は早稲米として地上に置れたるか。或は晩稲米として地上にをかれたるかの区別すら知ること難からん。米は育てられてその結果は何処に到るやを知らざるべし。其と同様にて汝等の滅後は如何になるやを知らざるは、恰も米の結果と同一の思ひに他ならず。是を知るものは作り主のみなるべし。藁を焼き捨てて灰となすとも米は焼き捨てざるべし。汝等の肉体も同様の関係ありとは思はざるや。肉体は灰となるとも魂を灰とはなさざるべしとは考へざるか。ここに神ありとして其神が汝等を作りし造り主と考へて、来世を想像せば滅不滅の理は察せらるる道理あらん。世人は是をこじつけの説と考ふるや。我等ならば然とは思はざるなり。何となれば米は稔りて外皮の籾を脱がずば、地に下されて又も芽を出し実を結ぶ。人も動物性の皮を脱がずば、又も人となりて芽を出し葉を繁らすこともあらんと思ふが故なり。古来より現在に及ぶ汝等の世界は、是を繰り返しくりかへしつつあるにてはあらざるか。米も汝等も同様の事を繰り返へしてなし居るにてあらざるかを考慮に入れよ。然して我等の語る来世論を聞かば自づと道は明るくなるならん。依て斯くも宗教くさき事を繰り返へし語り来りしなり。依て諒せよ。

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