覚者慈音1207 未知日記 第十巻 帰途案内記 転界の巻 NO 63  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1207
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 63
                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.25


 空なる事を信ぜしむるには事実を以て証明することあたはず。是が空実共に一体化して信仰を得せしむることを得るならば、斯る疑はしき論説を用いずとも、容易に信仰を得せしむる事を得れど、事実を伴はざる空論なるが故に、疑問を抱くはこれ又当然なる事なり。我、是を知るによって斯くも宗教くさき事を語り居る事を、諒として今少し耳を傾けよ。念を残すと云ふもこれ又空なり。我等先に語りたる心霊雑話の例に見らるるが如く、己死したることを知らずして長き間迷ひ居りし念のありし事を世人は記憶し居るならん。念を残してすらたとえ一時的の現象にても斯く迷ふなり。まして魂は修養せざれば迷ふことの理も察せられるならん。世人はその何れをも空なりとして疑ふならんも、先づ是等は消滅せず残るものなりと仮定して、考慮を廻らすならば、理論は却て明らかとならん。魂の緒は切れずば地上に念は残る。此念と云ふは心意魂魄のうち心魂の一部が、念となりて残ることは前にも語りたり。所謂摩擦魂を指すなり。一部分の念が残りてすら種々様々のはたらきをなす。是等を世人は幽霊と称へ居るなり。其は僅かに心の一部分と魂の一部分が念ぜられたる現はれに過ぎず。故に大部分は霊に導かれて昇天すれど残したる念に引かれて到るべき処に到着することを得ざるなり。是魂の緒の全く切断せられざるによってなりと知るべし。故に永久生きんとならば是等を残す事をせず、修養して全き生を得んことに努力せよ。
 世の中には人一度死すれば恰も肉体を焼き捨てて灰となし、其を虚空に撒き散らしたる如く、魂も肉体を離るれば八方に飛散して影を止めざるべしと語り居るを、我等は耳にす。世人の語るを聞けば「肉体は種々様々のものにて構成せられ、その中に魂は宿され居るが故に、個人々々のはたらきをなし居れど、一度肉体を灰となさば飛散する如く、魂も住む所なければ飛散するの他なかるべし。故に死して火浄すれば魂も肉体も共に影を止めず。斯くしてこそ不去不來の境涯となるなり。故に一度死すれば其にてすべては終りとなる。終りとならば苦楽はあらじ。故に死後など考ふるは愚なり。肉体を有する間にせいぜい面白可笑しく世を渡る人は、即ち此世の極楽を味ふ幸福者なり」と語り居るを我等は屡々耳にす。

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