覚者慈音1209 未知日記 第十巻 帰途案内記 転界の巻 NO 65  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1209
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 65
                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.26


 汝等の世界の宗教の大半は、肉体宗教を旨とし精神宗教は少なし。世人は其が為に我等の説を聞きても稍もすれば肉体宗教にとり入れて、判断すること多き為、誤解すること多し。兎角宗教者は信者を多くせんが為に、肉体信仰を旨とする傾向あるによって、時には精神宗教者迄が是等に引き入れられて、却て肉体ともつかず、精神ともつかず中道的教化をなすこと多きため、却て信仰者を迷はする結果となるによって、正しきさとりを得ることを得ざるならんと思ふなり。人を導くには肉体信仰より入らしむれば、多くの人は其門に入ることをなせど、精神的より入らしむるは甚だむづかしくして容易に入ること難き故ならん。肉体宗教には迷信を伴ふこと多し。又精神宗教のみにては人を導く方法は正しくして迷ひ少なけれど、これを完全に悟らしむる容易のことにては成就するものにあらず。智慧すぐれたるものと雖も肉体の具備ある以上迷ふは是非なきことならん。されば肉体信仰より精神信仰に移して導くにあらざれば、望みは達し難きことも推して知らるる道理あらん。されば指導者にあたる人は此事柄をよくよく認識して、肉体信仰と精神信仰の欠点をよくよく認識なし居らずば、人を渡すことは至難なることも推して知ることを得ん。我等世人を転界せしめんが為にこの事柄に対して留意なし居る為今日迄種々様々の論説を掲げ居れど、今尚世人に満足を与ふることを得ざるは実に慚愧に堪えざるなり。全宇宙の自然はその範囲余りに広きが故にその一々に対して説明なさば凡ての人類に満足せしむることは安けれど、其一々を語り居りては尽る処なきによって、其中より一つの真理を探り得て其によって導かば、安からんと思ふならんも事実は然らず。其真理を語り得るとして先づ考へ見るべし。千万人の中是を認識するものは僅かに一人あるか、或は無きやもはかられざる故なり。
 教主が仰せられし一法を修すれば万法に通ずとの仰せなれど、其は事に処しての事にて宇宙の大自然は、根に返へさずばその神髄を知ること難し。活眼を開らきたる人ならば、その神髄の根を見きはめて其によって万法を得ることは易し。されど斯る底の智者は世人の世界にはあらずと云ふも、敢て過言にはあらざるべし。よしんばありとするも其人の教へを受けて、感化せらるる智慧者は稀ならん。斯る事にては世人の全部を完全に悟らしむる方法は、容易の事にてはなし難し。斯く語らば「世人は迷ふならん。即ち我等は如何になすとも天界に入ることは難きか」と、汝等悲観すること勿れ。我等の説をききて信仰して共に手を携へて、我等に従ひ来らば決して迷はすことはなさざるべし。
  

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