覚者慈音1202 未知日記 第十巻 帰途案内記 転界の巻 NO 58  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1202
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 58

                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.24


 信を得て魂を稔らせたる転界は其後のつとめに服さすることはいと易きに引きかへ、然らざるものの魂は捨つるの余儀なき憂もあるによって、同じ魂の緒の切れたる後にすら斯くも相違あるなり。魂の緒の切れたる後を世人は滅後と称へ居るならん。されど我等に云はしむればそは滅後と云ふにあらず。唯形を変ぜしめたるにて、所謂結合したる凡ての細胞が破壊されて、個々の特性にかへりたるに他ならねば、滅後とは云ひ難し。所謂破壊分解融和組織によって構成せらたる肉体が、第二第三の法則によって姿を変じて分散したるに他ならず。更に是を次の方法にて又も組織せらるればもとの肉体に返ることもあるならん。故に是等は滅したるにあらず。所謂汝の魂の緒の切るればその後はその姿を変ずるのみにて滅したりとは云ひ難し。故に我は滅後とは語らざるなり。唯魂の緒切れたる後はとのみ語るに止めん。此理をよくよく認識なし居らねば我等の言葉を悟ることは難し。よって注意なしをくものなり。斯ることをくだくだしく語らずともよからんにと世人は思ふならん。されど今後我の語らんとするところには是等の事柄に対して注意なし居らずば、世人の智慧にて到底我等の意中を汲み取る事あたはざることを知るによってなり。
 例へば円海は天界に召し出されて出現し来りし時、己が肉体を土中に埋めて、然して魂のみ上昇し来りしと聞かさるれば、世人は如何に考ふるや。円海は自殺したりと考ふる人多かるべし。釈迦キリストその他世に聖者と言はるるものが、不時の災害に遭ひて殺害されし如く考ふる人多からん。現に今慈音と欣情が此事に対して語り居るを聞けば、世に聖者と云はるる人のいたいたしき死にかたは何故なるか。安楽なる往生なしてこそ真の聖者と云はるる筈なるにと語りつつあるを聞きて、我は彼等に於てすら尚不審なし居るに対して、世人の迷ふも尤もなりと思ふなり。慈音も欣情も未だ是等に関してうすうすは知り居れど確定したる信の力は未だ備はりあらざるを知るなり。もし慈音、欣情に於て是等に対して確定したる信を有するに至らば、彼等も自殺するやもはかられざる故なり。

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