覚者慈音1201 未知日記 第十巻 帰途案内記 転界の巻 NO 57  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1201
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 57


                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.24


 さればこの論説より考ふる時三対にて終らば、魂の力は弱はくして死後宙に迷ふの理も察せらるるならん。霊に化せられて初めて迷はず至る処に運ばるると云ふ説も亦、察するを得るならん。霊の力が魂を育ててその力を拡大するによって身心に及びて、大抵の病苦は治癒する理も亦察することを得ん。世人の世界には学問の力にのみ重きをおきて、霊魂なぞあるべき要なしなど語り居るを耳にす。のみならず甚だしきに至っては斯くも人智の進みたる世の中に、霊魂など語る愚者のあるは遺憾なりなど称へ居るを、我等は狂人の沙汰なりと痛嘆なし居るなり。
 一般世人の霊魂と云ふは即ち幽霊の如きものを、霊魂と思ひ誤まり居るが故なり。さればこそ幽霊の正体見たり枯尾花なぞ語りて、霊魂の範囲をせまく小さく考へ居らば、徒らに浮住界を賑はすにすぎざらん。余事は兎に角霊魂一如の境地に達せずば天界に来るとも次の使命に服する事あたはざるべし。心して道に励まんことを  !



 さて三対の階より一段上りて、四律の階に進むことを得たらば、ここに天眼地眼の通力は得られて、その広大さには又一驚を喫するならん。然しての後我の案内に従ひて歩みを進めよ。世人が従来広しと思ひて住み居りし処の如何に狭かりしかを見て、ここに初めて己自らが井中の蛙なりしことを悟る事を得ん。我今より語らんとする処は前記標題の如く、転界の意味について更に一言注意することあり。其は何なるかと云ふに魂の緒の切れざる間に転界せしめんが為には、汝等が心得おくべき要点を二三語りおかざれば、迷ひと疑ひを多くするのみにて、誤解する事の多きを知るによってなり。魂の緒の切れたる者の転界と、然らざる者の転界とには大なる相違あるによってなり。肉体を有する間に魂を稔らせたるものならば、その魂は自由を得たる力あるによって、たとへ魂の緒の切れたりとも導くことは易し。是に反して肉体を有する間に稔らせざる魂が転界し来らば、是を導くことは容易の業にあらず。 

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