覚者慈音110  未知日記講義第一二巻 大霊界 未来観 その四  教主寛大講義   教主寛大講述

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                         NO68                                      未来観 その四                                                                  教主寛大 講述


 我、前講の講末に於て人身が分解されて無始終霊子にかへりたる時、その勝れたるものが組織されて、又も人間としての居に置るる事を語りをきたり。されば、そのすぐれたるものとは何かと云ふに、人身にもあれ、動物にもあれ、動、静の力具はりあるが故に、心と云ふものが組織せられ居ることは、既に諸子も朧気ながら知り居るならん。動物には心あれども魂なしと云ふ説明は、未知日記に於て語りし如くなり。同じ動物に於ても黴菌等は草木に等し。彼等には心あるにあらず。是等の事は論議の余地なし。諸子は心と魂の区別を知らざるが故に、進化の道を明らむることを得ざるなり。他の動物と人間との異なりたるところは、魂と云ふ種子を蒔かれ居ると、唯心のみにて魂の種子を有すせざるとの相違あるのみ。人間は魂の種子を心の肥料によって育つるにあらざれば、人間としての任務を果すことを得ず。動物の中にも人間に化せらるべき素質を有するものは多々あるなり。是等は進化論より考察すればうなづかるるならん。故に多くは語らじ。知りたくば未知日記を参照せよ。
 心は肥料なるが故に無始終霊子に立ち返へれば分散して機能を失す。故に人生一代果にて終らば身心共に滅すと語りたり。されど亡びたるにあらず。唯分解されて心としての働きの用をなさざるのみ。根底より滅したるにはあらざるなり。唯無始終霊子に変化したるにすぎずと考へなば其にてよし。然るに心の肥料によって育てられたる魂は如何にと云ふに、完全に育てられたる魂ならば、身心を失ひたるのちと雖も、無始終霊子を吸収して益々進化の度をたかめ行くが故に、亡びると云ふこと更になし。又心の如く分解さるるものにあらず。此事柄は是よりくはしく語りて、霊魂不滅の道理を明らかならしむべし。
 元来無始終霊子はすべての物を育成する素質を有するが故に、亡ぼすと云ふことはなさざるなり。育成せんが為には種々様々の変化を与ふることは、一定の順序によりてなされ居れど組織せんが為の破壊に他ならず。諸子は変化するを見て破壊と思ふは誤謬なり。組織せんが為の破壊と、破壊せんが為の破壊とは、大いに異なることは前にも述べたり。斯くの如き関係なるが故に、無始終霊子は己の分を固守して、永久にすべてのものを育成なし居るなり。故に如何なるものと雖も変化あるのみにて、滅すると云ふものは一としてあらざるなり。さればこそ米は米として年々栽培せられて尽ることなく、育てられ居ることは諸子も知るならん。是等は米のみに限られたることにあらず。他のものに於ても同様なり。人間に於ても又同じ関係ありて存在す。古来より死しては生まれ、生まれては死し、幾多の年月を重ね居れど、人間はたゆることなく生存なし居るならん。されど多くの人は皆同じからず。是等の道理は米と何等異なることなし。
 大凡宇宙間のすべてのものは皆無始終霊子によって作られ居ることは、諸子にも理解することを得たらん。我、斯く語らば諸子は云ふならん。何万年何億年前に存在なし居りたるものが、現在はその影を止めずして亡び居るにてはあらざるかと。されど是等は変化によりて其形を異にし居るのみにて滅したるにあらず。唯その姿が変化なしたるのみなり。例へば一個の大岩石が打ち砕かれて粉砕せらるるとも、其は形を変じたるのみにてその悉くが失はれしと云ふにあらず。是等も又滅したるにはあらざるなり。斯ることをくだくだしく述べ居りては際限なし。形の変じたるを見て亡びたりと考ふるは誤解なり。大岩石をくりぬきて通路を作る。是等は組織せんが為の破壊にして変化を与へたるのみ、滅したるにはあらざるなり。砕かれたる部分は以前の土に返へされたるに他ならず。些か余事に亘りたり。元に復すべし。

×

非ログインユーザーとして返信する